匿名性

 われわれは匿名性をかちとる必要がありますし、ある日ついに匿名になるであろう、という巨大な推測を正当化する必要があります。 それは、古典主義時代の人達が、真理なるものをみいだしたと巨大な仮定をし、その真理にみず から の名を冠することを正当化する必要があったのと、いささか似ていますね。 かって、ものを書いていた人にとっての問題は、万人の匿名性からいかにみずからをひき離すか、でした。こんにちでは問題は みずか らの 固有 名称をうまく消し去り、語られるさまざまな 言説 の巨大な匿名の ざわめきのなかに、みずからの声を 入りこませてしまうことなのです。  匿名 であろうとすること以外に 意図のないような本にたいして独自性とか個人的性格とかのしるしを多くあたえている ものは、ある文体の特権的な形跡でも なければ、独自な、ないしは個人的な解釈というし るしでもな く、それはいわ ば消し ゴムによる 一 撃の激しさなのです。そ の 一 撃によって、 しるされた個人的性格を想起させるようなものはすべて、もののみごとに消しさられる のです。  <古い読書の傍線から> ミシェル・フーコーインタビュー 歴史の書き方「言葉と物」をめぐって 福井憲彦 訳 1987年  「 acte s」   No.3  日本エディタースクール出版   P 178-179より ※『ミシェル・フーコー 思考集成Ⅱ』筑摩書房 1999年p445-446 には石田英敬 訳