「憲法上、想定されていない」
2024年3月16日
2024年10月18日
2024/03/16 東京新聞
同性婚を認めない民法などの規定を違憲とした14日の札幌高裁判決を受け、15日の国会や大臣の記者会見で、受け止めや認識を間う質問が相次いだ。岸田文雄首相は、同性婚を認めることは「憲法上、想定されていない」と従来の政府見解を繰り返し「少なくとも同性婚に関する規定を設けないことが、憲法に違反するものではない」と後ろ向きな答弁に終始した。
自らを 規定するものとしての憲法という設定と、その生成や解釈は自らが行うという設定とをとりあえず仮定する。
立場として同性婚を認めないという決定が既にあり、それを完徹したいという要求の次元においては、憲法が想定しないのだから、という外在的な説明の言い方に逃げることになる。自らではなく憲法が想定していないのです。しかし、自らの考えとしては語られない。それによって、結果的に同性婚に反対している「自ら」は恣意性を完徹する。
議論をする場面であれば、判決での同性婚を認めるべきだという論理と切り結ぶ論理動作が必要になる。それによって、議論は展開し、社会は動く。しかし、憲法を外在性として規定することで、自らの論理によってではなく、決定されていることとして、同性婚の否定を延長しようとしている。そこでは、憲法の生成と解釈は自らが行うのであるが、その解釈は憲法を変更するという方向性を持たない。もちろんそれは同性婚を否定するという恣意の保持動作であるためである。
いずれにせよ、論理的な展開を回避し、何か外在的なものの次元を根拠化して語ることが日本語での政治的な言説のある相をなしている。
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