「負債」ネグリ「叛逆」 マルチチュードの民主主義宣言から
今日、借金を負うことは、社会生活をおくるうえで一般的な条件になりつつある。学生ローン、住宅ローン、自動車ローン、医療ローンなど、借金を背負いこむことなしに暮らすのはほとんど不可能である。社会のセィフティネットは「福祉」〔=安寧に暮らしていくための〕システムから負債」〔=借金を背負って暮らしていくための〕システムへと移行した。
借金=貧し付けが社会的二—ズを満たす主要手段となったからだ。人びとの主体性は負債を基盤にして編成されている。人びとは借金を作ることで日々の生活を生き延び、負僙に対する責任の重圧を受けながら暮らしている。
負債は人びとを管理する。つまり負債は、消費に規律を課し、人びとに耐乏生活を押しつけ、また生き延びるための戦略について考えるだけで精一杯の状態に、しばしば人びとを追い込む-それどころか、借金は仕事のリズムや選択を決定づけてしまうことさえある。奨学金を借りて大学を卒業すれば、返済するためにとにかく有給の仕事に就かざるをえなくなる。住宅口 —ンを組んでマンションを購入すれば、失業しないように努め、仕事を離れて長期休暇や、学習休暇をとることはできない。
負債の効果は、労働倫理のそれと同様に、休まず精を出して人びとを働かせることにある。
「叛逆」 マルチチュードの民主主義宣言 (NHKブックス) 2013 ネグリ、ハート 水嶋一憲、清水和子訳 p25
マウリツィオ・ラッツァラート「〈借金人間〉製造工場――”負債”の政治経済学」2012 杉村昌昭訳と同じように。
”負債”の「権力」は結局”貨幣=お金”が持つ、論理的錯誤構造によっている。
それが”力”として機能して”主体”を生成する機序を自解しない限り、”資本主義”は終わることができない。