マルクス 再読
2021年1月20日
2021年6月17日
2020/01/20 マルクス英語版資本論の日本語訳(宮崎
恭一 訳)
https://www.marxists.org/nihon/marx-engels/capital/contents/index.htm
を読み始めて。
「人間」は「自然」の一部である、という言い方がマルクスの水準を示しており、その二項の相互作用的な空間で陳述が展開される空間では、必ず、その二項、「人間」と「自然」が基体化されると同時に相互に規定を受けるものとしての、循環性を帯びる。
「個人」というものもそれが「社会」との相互規定的な水準であるにしても、「基体」としての輪郭を自壊させてはいないので、そこから諸「個人」、諸「主体」、「間」の、「交換」というものが、「価値」を生成する動力になってしまう。
それら諸「名詞」のもつ、「基体性」を自壊させる論理は、言語に関する理解と、主体に関する分解、例えばニーチェの、主体が考えるのではなく、考える事が主体を生成しているのだ、という主張や、フーコーらの、「人間」、「主体」といったものの歴史分析を待たなくてはならないだろう。
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