ニーチェ: 活動、作用、生成の背後にはいかなる〈存在〉もない
1994年1月1日
2021年8月7日
一般の民衆が稲妻をその閃光(せんこう)から切りはなし、後者(閃光)を稲妻と呼ばれる主体の活動であり作用であると考えるのと同じく、民衆道徳もまた強さを強さの現れから切りはなし、あたかも強さを現わすも現わさないも自由自在といった、超然たる基体が強者の背後にあるかのごとく思いなす。がしかし、そのような基体は存在しない。活動、作用、生成の背後にはいかなる〈存在〉もない、〈活動者〉とは、単に想像によって活動に付加されたものにすぎない、――活動がすべてである
『道徳の系譜』信田正三訳 ちくま学芸文庫 1993 p404
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