「アイデンティティ」が殺し合うとき
100年の歴史が決壊し、ハマスがイスラエルの1200人の人々を惨殺した後、それへの対抗だとして今おこなわれている、電気、水、燃料、医薬品、食料、ネット環境、生きるのに必要なすべてを絞り込んだ壁の中に閉じ込められ続けてきた「ガザ」の人々へのイスラエル軍の無差別攻撃は、人間を檻の中に閉じ込めてそこに向かって銃を乱射しているような異常なおぞましさを見せている。
日々、NHKBS放送のワールドニュースで流される血だらけの子どもたちや、完全に倒壊した街並みの映像は、日本に生きている我々にも、その理不尽を、なぜこのようなことが可能なのかを、考えさせる剣として苦痛をもたらす。
しかし、イスラエル国内の人々はこれらの映像をどのように消化しているのだろうか。どのような理論によって、イスラエルの人々はこれに耐えているのだろうか、その疑問に答える日本語での専門家意見を見つけることが出来なかったので、イスラエルのハーレツ(h a a r es)という新聞を機械翻訳を頼りにのぞいてみた。
やはり思ったとおり、イスラエル国内ではこれらガザの惨状の報道はなされてはいないようだった。映像は、ハマスが襲撃したキブツの惨状やガザ住民の映っていない破壊された街並みで活動するイスラエル軍の兵士の姿がほとんどであった。2023/12/13のポッドキャストに「イスラエル人がガザの映像を見ないのは、ジャーナリストが仕事をしていないからだ」という意見が掲載されていた。
https://www.haaretz.com/israel-news/podcasts/2023-12-13/ty-article-podcast/israelis-dont-see-images-from-gaza-because-our-journalists-are-not-doing-their-job/0000018c-5e34-de43-affd-fe36d3a70000
そして、12/18のBBCもこうした映像はイスラエル国内ではほとんど流されていないと述べていた。
ドイツの放送局は「ホロコースト」の後ろめたさから、イスラエルよりが明確、スペインの放送局は意外とパレスチナの状況を放送している。カタールのアルジャジーラはパレスチナの惨状を一番多く伝えている。
この植民地をめぐる戦争は、武力というものでは思考は絶対に変えられず、新たな武力に回収されるだけだという事、西欧の先進的だと思われてきた民主主義や人権、その二重基準が同時期のウクライナへのロシア侵攻と相まって、白日の下に明らかにされ、何百年もの奴隷貿易や植民地化、更に言えば、人間、個人、アイデンティティといった理解による思考構成をいよいよ自解させなくては、整合する論理=真理を見いだすことが出来ないことを、血だらけの子どもたちや、爆弾で破壊された自宅のがれきに埋まった家族の犠牲の上に刻印しようとしているのだ。
「敵」と「私」その構成を作り上げる思考について、その自明性が剥がれ落ち、「私は○○だ」と言う規定による自己生成が、砂浜に描いた顔貌のように、歴史の中に消え去るとき、ガザの破壊し尽くされた町や瓦礫に埋もれた子どもたちの体が、有ってはならないものの現前として、意味を失った、ただ現前する力として我々を動作させる。