チャットGPT
2023/04/29 ⇒ 2023/06/28
「生成AI」という語での「生成」とは有限な諸項から有限な規則によっての「生成」であって、「我々の活動」としての非可算無限から可算無限を経由しての「有限=言葉」の生成とは全く異なる。
すべての言葉による表現はたとえば英語ならアルファベットといくつかの記号で示される。
日本語であってもなんであっても文字で表示される限り、諸文字、あるいは諸言語の単語、として考えてもいいが、表現された限りそれはたかだか有限の数列であることしか出来ない。次の言葉を選択する諸規則、という同じく記号化されたものを追加しても有限性は変わらない。
ある文章にまた別の文章が加えられていくという「動き」についてはその動きの意味自体を対象化できない水準では普通その累進について「無限に」という言葉が使われ、別の次元がそこに登場するかのような自己意識に回収されてしまう。
単語、文字と言った記号性によって、すべての表現は行われるという原理からは、ある「真実」である表現も、とてつもない発明や思想も、その記号性(言葉)によって構成されざるを得ないのであるから、所詮それらの単語(記号)の組み合わせによって生成されるに過ぎない、ということになる。
ならば、それらの単語=記号を基体にして「真実」の組み合わせを機械が生成する可能性は「0ではない」はずだ。ということになる。
しかし、ここで「0ではない」可能性というのは、思想が記号によって陳述されるということのみを指しているだけであって、その記号の順序(文章)が「とてつもない発明や思想」であるかどうかは、たしかにその既存の記号をいかに接続するかの次元であって、その接続が、「とてつもない発明や思想」であるためには、現に表現され所与として学習されたすべての既存の記号列とは別の原理によって生成・統御される必要がある。この統御ということの実現は有限の次元ではなく、非可算の連続歴な次元から生成されざるを得ない。非可算の世界から可算である記号の世界を生成することはできるが、逆に記号の世界から非可算の世界を見ることはできない。この非可逆性が「チャットGPT」と「思考」を分かつものである。
チャットGPTはすでに生成された記号の世界での順序の生成である。それは所詮電気信号という記号化された次元における「生成」=組み合わせであるに過ぎない。
しかし、重大なことは、その記号自体を生成している活動自体が世界なのであり、それは、電気信号ではなく、すべての物質の変化、による生成であって、記号的なものはその動態には含まれない。
単純に言えば、チャットGPTは有限の世界での組み合わせによる「意味」であり、いっぽう、我々が日々生み出している言葉の「生成」は非可算の無限から可算無限の網目を経由して、有限なものとして「記号」として生成する活動において現前するのである。
記号による次元からは非可算である「世界自体」は見えない。非可算からは必然性としてのすなわち唯一性としての「記号」が生成される。記号であるという事からだけ見れば、どちらも記号の連鎖であるが、その決定的な違いは、自体性を理解するという動作(それはひとつの統御でもある)の存在の有無による。
その事の区別が付かない、記号の世界を、世界だと思っている思考のみが、チャットGPTを驚異的なもの、脅威的なものとして限界づけた「自己意識」を生み出すだろう。
cf.チョムスキー
https://archive.is/AgWkn#selection-467.0-543.818
deepLでの日本語翻訳から ↓
人間の心は、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトの言葉を借りれば、言語によって「有限の手段を無限に使う」ことができ、普遍的に届くアイデアや理論を生み出すことができる。
人間の心は、ChatGPTのように、何百テラバイトものデータを収集し、最も可能性の高い会話や科学的な質問に対する最も可能性の高い答えを推定する、パターンマッチのための重厚な統計エンジンではありません。逆に、人間の心は、少量の情報でも驚くほど効率的で、エレガントなシステムです。