すべては「現在」でしかない。
2021.09.12 東京新聞朝刊で、
タクシー突っ込み女性死亡 九段 運転手重体、4人重軽傷 十一日午後四時二十分ごろ、東京都千代田区九段南一の同区役所近くで、タクシーが、車道を走っていた自転車や歩道にいた人を次々とはねた。警視庁麹町署によると、歩道でタクシー待ちをしていた小林久美子さん(73)=品川区大崎=が死亡し、タクシー運転手の山本斉(ひとし)さん(64)=杉並区井草=が意識不明の重体。このほかに女児(9つ)を含む男女四人が重軽傷を負った。署は自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の疑いで調べている。・・・・。
と言う記事を読む。その後、他のメディアの記事で亡くなった方の写真と元労組の書記との情報を得た。2022年9月11日発行の、亡くなった元国労本部書記、小林久美子さんの追悼文集「ありがとう! 小林久美子追悼 1948-2021」に以下を寄稿した。
すべては「現在」でしかない。
1987年3月31日、「国鉄分割民営化」の前日、私が執行委員長を務めていた「国労八王子客貨車区分会」は解散した。隣接する八王子機関区に貨車の検修部門は統合され、貨物列車の乗務員である「列車掛」の基地もすでに廃止され、職場が完全に無くなったからだ。貨物会社の採用を辞退していた私は、組合員の異動を見届け、翌日から「国鉄清算事業団」に配属された。
そこに至るまでの、分割民営化に反対する闘争の中で、言い換えれば、公共交通の私有化と所属組合差別による個人化という支配に反対する闘争の中で、都内に国労組合員が集まる時いつも最前列に陣取っている国労本部書記の中に、鼻筋が通りショートカットの鋭敏な印象の女性がいたことを覚えていた。
それから32年後の2019年6月29日、大森での国鉄詩人大会に武藤久元国労本部委員長をゲストとして招いた。武藤氏と同時期に本部書記でもあった国鉄詩人連盟会員、福田玲三氏の手配によるもので、翌日は武藤邸でお話しをうかがう機会も得た。
その時、飲み会の準備をしてくれていた女性が、その本部書記の方であることはすぐにわかった。入院中の妻の見舞いを毎日欠かさない、既に90歳を越えた武藤氏のところに時々来てお世話をしてくれていると聞いた。
私が、国労八王子の組合員だったこと、今はビルの設備管理員であり、「下町ユニオン」というコミュニティユニオンに加盟していることを話すと、彼女も「ユニオンおたがいさま」のメンバーであり、そこには、国労八王子支部の書記の一人だったM氏も加わっていると教えてくれた。首都圏コミュニティユニオンネットワークの一員として、私たちは行動を共にする「仲間」になっていたのだ。
武藤氏と小林氏の国労内での思想的立場の違い、当時の私も含めたそれぞれの国労としての闘い、今のコミュニティユニオンとしての闘い、30年も隔ててその間それぞれにどのような出来事があったかも関係無く、すべてが一挙につながった感動のようなものが、その日の会合で生まれた。
それから2年後の2021年9月12日、都内で前夜、暴走したタクシーが(後に運転手がくも膜下出血を起こしていたことがわかる)、高齢の女性をはねて死亡させた、という朝刊の記事を読み進む内、写真と、労働組合の書記をしていたという記述から、胸騒ぎがして福田氏に問い合わせ、その亡くなった女性が小林久美子さんであることを知った。
ジェンダー問題の講演の企画を終え、講師にタクシーを呼ぶため歩道で待っていて亡くなった彼女は国労の闘いの延長線上にあり、また亡くなったタクシー運転手達の過労につながる働き方に反対する運動とも交差していた。
「死」は徹底的に、それぞれの「私」にとっては外在的なものであり、「私自身の死を経験する」ことは原理的にできない。すると、「死」によって限界づけられた、孤立した粒子としての「私・たち」、それが時間と空間という基準内で離れたり近づいたりしている、という像自体が間違っているのではないか、という事にならざるを得ない。本当は、いつでも、すべては、ただ一つの「現在!」、でしかないのではないか? と。
おそらく、そのように考え始める事は慰めであり、また、交差した様々な「生」を自らのものとして内在化していく静かな「力」にもなるのである。
ただ一度しかお話しすることはなかった小林久美子さん。お疲れさまでした。そしてありがとうございました。