苛立つ「自己」、をめぐる模索 山本シュウ氏の講演を聴いて
2014年2月6日
2020年7月10日
2014/02/06 会社や地域では意外と冷静に問題の脈路を考えてそれなりの対応が出来るのに、家族の中でそのように対応するのは難しく、ついつい、その場面で生まれた感情をそのまま孕んで「自己」意識になっていることに気付く。 まだ「分別」を形成過程の「子ども」や、私が強く合一性を求めてしまいがちな「妻」との関係において、そう感ずる。 それは「家族」だからというよりも、何かの目的に向かって考える空間であれば共通の見解に達することも出来るのに、様々な脈路で出来上がっってしまった限りでの「自己」を前提にして、そのそれぞれの「自己」がふるまう空間ではかならず生まれ…