家族NOTE 覚書断片
1994年8月の季報唯物論研究/大阪哲学学校夏季合宿における「家族論」についての発表後、論文集のためのnote断片。1998/8/23放棄した未定稿と重複箇所多数。傍点は下線に変換。 ファイル名 家族NOTE.JAW 1997/02/05 22:12
ニーチェ『善悪の彼岸』ちくま学芸文庫 信太正三訳 p102
以前にはひとは、文法と文法上の主語を信ずるように<霊魂>というものを信じていた。そのいうところによれば、<我>とは制約するものであり、<考える>とは客語であって制約されたものである、---思考というものは一つの働きであって、それには原因としての一つの主語が考えられなくてはならない。今日ではひとはおどろくべき執拗さと狡知とをもって、この網からぬけでられないものかどうかと試みている。---またもしかしたらその逆が真理ではないのか、つまり<考える>というのが制約するものであって<我>とは、思考する働きそのものによって作られる一個の総合物にすぎないのではないか、と試してみている。
cf 身体は私たちがそれについてもつ認識を超えており、同時に思惟もまた私たちがそれに)ついてもつ意識を超えている 『スピノザ』ドゥルーズp29
岩波新書『平安王朝』p3
桓武天皇/45歳で即位し70歳で退位するまでに、資料に明らかなだけでも23人のキサキと総計35人の子どもをもうけている。
「平安王朝」p8
兄弟を排除して自分の子どもを皇太子とするために父を神として祭り、自己の王統を正当化した儀式・・
① 王統を継ぐものの位置をめぐる闘争。自分の兄弟(皇太弟)か自分の子ども(皇太子)か。過去の経過にかかわらず、王になった以上は王統の起点として自らを位置づけようとする王の態度。自らを包含している「族」の中の一員としてでなく、常にそれ以降の血統の起点として規定可能な「自己」を形成しようとしているように見える。
「平安王朝」p17
桓武は、801年、死去のしばらく前に3人の娘を同時に3人の息子と結婚させた。 ② p18 異母兄妹婚をもって王者の「血」の証明とする、世界でもしばしばみられる原始的な王権の血統思想・・
「平安王朝」p19
③ その所生の男女を相互に結婚させることによって、現存する他の有力貴族が王の外戚の地位を占めることを巧妙に妨げた。
「平安王朝」p35
④ 能力などでなく、その血縁による関係性が効力を持つ。1歳の子を次期の王として指名し(皇太子とした。・・現在のように王の子が自動的に皇太子となるのではなく、王のたくさんの異母兄弟も次期王の座を競っていた。)、9歳で即位する。(清和天皇)
p39「平安王朝」
娘に王の子を生ませることによる力の生成
⑤ 血統の現実性としての身体の現存。たとえ赤ん坊でも。
さらに、その身体が次の王統の継承者として位置づけられること。
p135「平安王朝」
一条、後一条、後朱雀の3代の天皇にわたって、その正妃に娘をあてるという(藤原)道長の閨閥は、生物学的にみても異様なものであるが、ここに、王家と道長の家族はほとんど融合し、道長はそれによって、王権中枢を占拠したのである。
(道長自身、妻の族の力によっていた。・・妻は1人ではない)
p137道長の子どもたちは、いわば一家総出で道長の手駒となって王家との関係を深め・・
p142・・道長の2人の妻からの息子の間の対立。
⑥ 家族の血縁性基盤説への反証
一つの家、家庭、というものには包含されてしまわず、「家族(・・もしそう呼ぶならば)」の中は少なくともその妻の数だけそれぞれの系統が交差する場所となっている。言い換えれば現在の通念での「家族」化、ある一対の男女の結合組を卓越化、正規化し、その男女がそれぞれ別の男女と生物的に構成可能な他の一対性とは弁別して、その間に優位劣位の順序づけをするようなことはできていない。そういった意味ではそこに「家族」は存在しない。異母兄弟姉妹にとって、たとえ「父」を同じくするとしてもそこに発生した「子」としての帰属性は母親と父親のそれぞれの族の交差・結合点としてのみ観念されるのであって、父親(あるいは父母)の同一性で通約される、言い換えれば父親(あるいは父母)を権威(あるいは基軸)として統御される閉じた単一の共同概念、たとえばそのようなものである限りでの「家」とか「家族」は、少なくともこの時代の政治的権力としての「王」をめぐる関係性においては、存在していないように感じられるのである。もし自分たちを「家族」などとして「社会」から弁別し、閉じた共同性輪郭に規定してしまうならば、もはや王は血統を根拠として社会的な総体を統御できるという枠組み自体を放棄しなくてはならなくなるだろう。その血統は政治的な現実、闘争の社会なのであり、「私」的という概念自体がそこには存在しないのだから。また、特定の一対の男女が統御の根拠としての血統を維持する実体である「子ども」を生み育てられるかどうかには偶然性が介入しており、統御の意思にとっては特定の生物的一対性には何の意味もないことになる。
⑦ もし壬申の乱などでの兄弟殺しなどを、「現在の我々の常識からは考えられない」という言い方で切断してしまうのでなく、そこに存在したはずの「合理性」あるいは「整合性」について考えようとするならば、それは「現在の我々」を揺るがさずにはいないだろう。
p143 ヘーゲル国法論批判におけるマルクスの著名な言葉、「王の最高の憲法的行為は彼の性行為である」 ※ 大月書店国民文庫『ヘーゲル法哲学批判序論』真下信一訳 p72「君主の世襲制は君主の概念から出てくる。君主は特別に類全体から、すべての他の人から、区別された人だとされる。では、ひとりの人の他のすべての人からの究極の区別点は何のか? 体である。体の最高の機能は性行為である。それゆえ国王の最高の憲法的行為は彼の性行為である。けだしこれによって彼は一人の国王を作って、己が体を伝えていくのだからである。彼の息子の体は彼自身の体の再生産、一個の王体の創造である。」
A お父さんが入院してるけど、私たち、強く生きていけます。
ほんとうはちょっと心配だった。入院したらやっぱり不安。/うちのことはどうなるの。私の進学はどうなるの。/でも保険に入っていたから、大丈夫みたい。/もしものときも、私たちのことを考えていてくれた。そんな頼りになるお父さんを、ちょっぴり見直した。/おかげで、いままでどおり強気でいられる私です。
(医療保険会社の新聞広告文面 女の子の少し心配そうな表情の写真に配置。朝日新聞一九九二年六月一六日)
B 「夫の職場復帰まで」名寄闘争団家族会 ‥‥‥しかし昭和六二年(一九八七年)二月十六日、JRと清算事業団への振り分けの日が来ました。‥‥‥その日から生活や将来の不安などいろいろと話し合ってきましたが、四月に国鉄は分割・民営化され、夫は清算事業団に入れられ、家庭は明るさを失ってしまいました。子供の誕生が間近にも関わらず、二人の会話は議論ばかりで、笑うことも忘れていました。四月十二日、無事に健康な娘が生まれ、この時だけは全てを忘れ、二人で喜び合いました。清算事業団の三年間は、子育てに追われながら、再就職か、広域採用か、地元JRかと、夫ともぶつかってきました。でも最終的に、なにも悪いことはしていないのに、理由も告げられず、紙切れ一枚で首を切られたことは許せませんし、地元JR復帰までがんばろうと話し合いました。(しかし一九九〇年三月に再び清算事業団からも解雇され)挫折と悔しさ、不安の中から、仲間と共に闘争団を結成し、夫はアルバイトに出ました。生活は苦しくなり、嫌がる娘を保育園に預け、私もパートとして働きに出ました。二年前の四月、娘が小学校に入学しました。支援の皆様からいただいたランドセルを背負って、喜んで学校に行く姿に、夫も私も心から娘の成長を喜びました。 でも夫の勤務が遅番のため、娘とはすれ違いの毎日です。土・日・祝日はほとんど仕事で、遊んであげたり、会話する時間が少なく、娘にも寂しい思いをさせてきました。 理由なき一枚の紙切れで解雇され、二度も首を切られ、宿舎の追い出しも一方的に迫られ、生活する権利までも奪われようとしています。 ‥‥‥私は、夫と娘、国労の仲間、そして家族会のみんなと一緒に、一日も早く夫が地元JRに戻り、元の生活に戻れるよう精一杯がんばり続けたいと思います。/「私のお父さん」小学校三年生 ‥‥‥ほんとうはもっといっぱいやさしいお父さんお母さんと、三人で遊びたいです。でも、しごとがあるからがまんしています。‥‥‥ (国鉄労働組合機関紙「国鉄新聞」一九九六年四月二〇日「あのとき生まれたこの子と共に」)
C ライマンさん(六〇)は、脳卒中で倒れた夫(六八)を十四年間みてきた。夫は何度も発作に襲われ、ライマンさんは神経症になり、教師を続けられなくなった。 「夫の息が突然止まるんじゃないかと思うと買い物にも行けなくて。不安でじっとしていられない時は自転車をこぎまくるんです」。ほおがピクピク動く。「あなたはよくやってるわよ」。ボイさん(七九)が手を握ると、ライマンさんは「あなたこそ勲章ものよ」と握り返す。ボイさんは二〇年間難病の息子(五六)をみてきた。七人が互いの辛苦を認めあい、毎日が意味のある日々だと励ます。(朝日新聞一九九四年十二月十日「介護保険が始まる」ドイツでの在宅介護の自助グループの取材から)
D 女性週刊誌などから<性交>の楽しみに類する投書などを引用
E 十七歳の息子が、イスラエル軍に投石した容疑で捕まった。息子が、みんなの前で、あまりにひどく殴られるのでかばおうとしたら、私も殴られた。 「わかりますか。男は家族全員を守る義務があり、父親は強くなければならない。子どもには絶対の存在でなければならない父親が、目の前で侮辱されるのがどんなことか。父親として、息子を助けてやれないつらさがどんなものか」(朝日新聞一九九三年七月二日「乳と蜜の地で」7)
②政府が七月五日の閣議で決定した「高齢社会対策要綱」は、人口の急速な高齢化に対応して高齢者の生活の自立を促しているが、併せて出生率の低下を止めないと経済成長の大きなマイナス要因となる。それだけでなく、若い世代が高齢世代を支えることを前提とした年金、健康保険などの社会保険制度にも重大な影響を及ぼすことになりかねない。・・・子どもの数を増やし、未婚者の結婚率を高めることが、豊かな日本につながる・・。
(「小産化」を当然視すべきでない 日経連労働コンサルタントの投稿 朝日新聞一九九六年八月六日)
③育児や介護。/仕事との両立を、/あなたは/どうお考えですか。
(財)21世紀職業財団は、「育児休業等育児または家族介護を行う労働者の福祉に関する法律」に基づく指定法人として、平成7年10月1日から仕事と育児や家族の介護との両立を支援するために、以下の事業を実施することになりました。
(労働省と財団の共同広告 朝日新聞一九九五年一〇月四日)