労働組合と乗務員会
1993/07/20
メモから
(1)乗務員会と組合の二重性
イタリアのナショナルセンターと工場の中でそれを横断する工場評議会、という二重性とも違う。
おそらくどこの職場でも見られるに違いない、これらの職場の二重性は、複数の脈路の内で自己規定が可能であるということの最小の可能性を意味している。
それらの持つ少なくとも二つの共同性の関係は、自己意識の様式でもあるはずだ。
そして、規約も、会長もいる乗務員会。人は乗務員会員であると同時に組合員。1976年、私がその職場(八王子客貨車区:列車掛)へ転勤したとき、乗務員会の役員が組合役員に、「”組合”としてはどうなのか?」という尋ねかたをしていたのを聞いて奇異な感じがしたのを覚えている。
彼も組合員なのだが彼は外部の、「組合」というものから自らの領土と領民を守る「組織」の、指導者であるかのように振る舞っていた。それは組合指導部を奴等(やつら)と見る対象物的な見方と繋がっていた。それは組合指導部の組合員への軽蔑と対称的になっていた。空から降りてきたような外在性としての組合。
これは、占領軍によってできた日本労働組合が一般的に持っている特異点。 「内在的にできたのではない」という。
しかし、こうした内と外、に分化しない一つの社会的時空の発明をしなければならない。
国労は職場闘争の過程により内在的なものにしようとしてきた。
また、皆での話し合いというものが外在性をすなわち、自己意識による対象物化的な見方を解体する、言い換えれば別の自己に変成する。
少なくとも、反分割民営闘争時には乗務員会も組合も1976年とは別なものになっていた。
動労が乗務員会の共同性を様々なサークルなどでコントロール下に置き組合の共同性で覆い尽くそうとした(それはまた、組合を乗務員会の共同性で覆い尽くそうとした、と、まったく逆の言い方もできる)のに対して、すなわちそれら二つの可能な共同性の間の関係性を外部からの操作で強制的に一元的に統一したのに対して、、少なくとも国労は乗務員会の内在性を再編しようとはしなかったし、私の場合なら結局、内在的に展開しようとしていたのだといえると思う。
動労がサークルの運営を組合の系列下におきその一部分としたことはそれを意味する。国労のサークルとの違い。<これは実証的に展開のこと!>
2022/03/11の追記
稲上毅「職場共同体と仕事の規制--動労の庫コミュニティ」『労使関係の社会学』1981所収 では動労内の「乗務員分科会」の機能についてもふれている。ダイヤ改正時の各区での実行行路は彼らが実質的に編成している。これは私が経験した「乗務員会」の機能と同一だが、あくまでも、労働組合の内部に位置付けられ、「分科会」とされているという決定的な違いがある。