自衛隊の組織的靖国神社参拝問題。支配的な宗教の一信者であるにすぎない国王と、宗教=神そのものである天皇との違い。
陸自幹部ら靖国参拝
官用車使い 憲法の政教分離に抵触かしんぶん赤旗 2024年1月10日【1面】
陸上自衛隊のナンバー2の小林弘樹陸上幕僚副長(陸将)ら陸自幹部が9日、靖国神社(東京都千代田区)に参拝しました。本紙の取材に、小林副長は参拝したことを認め、幹部の参拝は「毎年のこと」と答えました。公務として参拝した疑いがあり、憲法20条が定める政教分離に抵触する可能性があります。
この記事を読んですぐ思い浮かべたのは、1970年代、自宅に郵送される「靖国」という薄い冊子に、しばしば制服姿の自衛隊員が靖国神社に参拝しました、という記事が掲載されていたことだ。
更に、追加の新聞報道では、1963年7月31日付けで 陸上幕僚長による宗教行為に関する通達が出されており、それには、「宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に部隊として参加し、又は隊員に参加を強制することはできない。」「神祠、仏堂その他宗教上の礼拝所に対して部隊参拝を行うことはできない。」と書かれている、とのことだった。すると私が見た「靖国」の記事はどういうことだったのか。
元反戦自衛官の小西誠はあっさりと「自衛隊ー制服組の靖国「公式部隊参拝」は、戦後一貫して常態化しているがー!」と書いている。ttps://note.com/makoto03/n/n6d5e39a4b521
永田町へ行った用事のついでに「靖国」のバックナンバーを国会図書館で調べてきた。
時間の関係で、収蔵開始の1962年から1966年までの合本1冊をのぞいただけでも、自衛隊の参拝記事は山ほど出てきた。
1963年に「宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に部隊として参加し、又は隊員に参加を強制することはできない。」「神祠、仏堂その他宗教上の礼拝所に対して部隊参拝を行うことはできない。」と幕僚長の通達が出されたその後、
1964/1/15号には、
防衛大学々生 夜間行軍で 靖国神社え
12/8 午前10時、防衛大学々生170名が隊長桑江二等陸佐の引率の下に参拝した。 一行は12月7日午後2時に横須賀市小原台の同大学を出発して、途中一睡もせずに約70粁の行程を徒歩行軍・・・・。防衛大学第三大隊の伝統的行事として学生の自主的計画で本年で3回目。
その目的とするところは、大東亜戦争開戦の日を期し、徒歩行軍によって、靖国神社に参拝し、護国の英霊を慰めると共に、強健な体力、気力を錬成し、併せて大隊の強固なる団結と士気の高揚を計るためであるとしている。
ある学生は「靖国神社に昇殿参拝をして、祖国のために雄々しく散華された200万余の英霊に近く接して、その意志を引き継ぐことを固く心に誓った」と述べていた。
更に、 1965/8/15号に至っては、
陸上自衛隊第一師団 隊伍堂々参拝
七月十六日午前六時、陸上自衛隊第一師団六二三名の
参拝が行われた。当日は午前五時三十分より五九台の車輌に分乗した隊員は、陸続として境内に集まり、各隊旗を先頭に白手袋に威儀を正し、整然として中門前に行進整列した。
先づ藤原岩市師団長に栄誉礼を行い、二十余名喇叭手の吹きならす追悼喇叭「国の鎮」の吹奏の中に各隊旗を水平に下し、参道石畳中央に立った同師団長に併せ、全員、脱帽して拝礼した。
今回の参拝は第一師団が指標としている「伝統の継承と英霊の敬拝」の実践であり、又旧近衛、第一両師団先輩英霊に対する敬拝式でもある。
陸上自衛隊か堂々と隊伍を整え靖国神社に参拝をしたのは自衛隊創設以来今回が初めての事である。
参拝後、常陸丸殉難記念碑復興期成会を代表して池田権宮司、慰霊植樹世話人会を代表して吉松喜三氏より夫々協力に対する感謝状が贈られた。
又参拝後藤原師団長以下幹部十八名は斎館に於いて筑波宮司以下職員と朝食をともにした。
ということになってしまう。
藤原岩市という方はウィキペディアなどによると、1908年(明治41年)3月1日 - 1986年(昭和61年)2月24日)。大日本帝国陸軍では特務機関の長としてインド国民軍の創設などを行い、また牟田口廉也と共に、かのインパール作戦を進めた人であるそうだ。公職追放を経て、1955年10月、陸上自衛隊に入隊、1956年8月、希望して陸上自衛隊調査学校の校長に就任し、自衛隊情報部門の育成に努め、その後、第12師団長、第1師団長を歴任した後、1966年1月、依願退職、という事だから、1965年、退職直前に、陸幕長の通達など無視して?「常々と隊伍を整え靖国神社に参拝」したという流れなのだろう。
この行動は、指示命令系統とか組織的な一体性、合理性といったものと無縁の、各自身勝手な旧軍隊の行動パターン、の発現のように見える。
その他「靖国」の興味ある記事をスクラップした手控え(pdf)はここをクリック。
(外国海軍の遠征隊が数多く参拝しているのも目についた。)
今回の問題、すなわち、「宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に部隊として参加してはならない。」しかし ⇒ 「陸上自衛隊第一師団 隊伍堂々参拝」
このような、言葉と、現実との全くの違いが長年放置されてきたというのは、元号の使用について、政府が、元号使用は強制ではない、自由に使い分けられるといいつつ、電子申請プログラムでは元号でしか入力できないというようなことが放置されてきた、という事とまったく同質の問題ではなかろうか。
この不合理、論理を徹底できない「体質」のようなものは結局、敗戦によって戦前の体制は総括されたのだ、というのは思い込み・錯覚であって、占領軍によって制度は変わったが戦前の思想はその脈路に於いて分解・解体・変成などされてはいない、という事を示しているのではないか。
民主主義は言葉として流布されるようになったが、それが具体的な行動としてどのようなものをもたらすのか、社会を構成する主体としての「自ら」というものが組成できているのか、その問いへの応答は「日本」というものが近代国家として成立した時の特殊性について明確に理解し、それを包摂してしまえるか、にかかっているのではないか。
江戸期から近代国家に変成される過程で最も重要な点は、神の末裔(天皇)が支配するものとしてのこの国家、という構成を作り出したということだろう。「国家」も「宗教」も、ある超越性であり、社会の諸立場・軋轢を超越、平滑化した、「我々は○○である」という均一な了解性を導く。
しかし、ある宗教と別に王がいる(すなわち、ある宗教を国王も信じているにすぎない)国家であれば、国家独自の構成を議論出来る空間も持てるだろう。しかし、神の末裔が王自体であり、国民というものはその神に紐付けられるという規定構成による国家においては、神という最強力な平滑力から国家が独立することはできない。それは自己同一性の反復、すなわち恣意性が支配する空間となる。まさにそれが明治期に構成された「日本」ではないか。そこでは、宗教=国家であり、国家独自の構成性はより強力な一般性である「宗教」の超越性により、常に無効化されてしまい、のっぺらっぼうな顔貌しか持てない、ということになってしまうのではないか。
靖国神社をめぐる自衛隊員の勝手な行動や、政治家達の曖昧さ、視野狭窄はこうした超越性の自在な導入によって、「社会的な構成(現実)の分析」という問題設定の空間を平滑化無効化してしまう単調性を反復する視線上にある。
我々が(「日本人」が、と言ってはならない)、すなわち「日本語で考える意識」が、すなわち「日本語」が、日本社会に於ける、「主体性」という事を考える時には、日本という近代国家体制の設立時、明治維新の頃の諸言説にまで逆上って分析せざるを得ない、ということになるだろう。
注
明治から戦前期の神社は、「辞典 昭和戦前期の日本 制度と実態」 吉川弘文館 1990 によると以下のようであった。
神社神道は国教的扱いを受け、神社は国家の宗祀(そうし)(公法人)である旨を定め、全国10万以上の神社を、神宮・官国弊社・その他の神社に分類し、国の関与の度合いを異にした。信教の自由をうたう明治憲法の建前上、神社神道は行政上の見地に於いて宗教とは全く区別された。宗教行政を文部省の主管とし、神社は内務省の管理に属した。
神 宮:伊勢神宮。神社中の最上位、社格を超越、単に皇室のものでなく国家の宗廟。
官幣社:主に皇室の祖神その他を祭り、大社、中社、小社、別格の4種に分かれる。
別格官幣社は臣下を祭るもので靖国神社を含む25社。
別格には特別という意味は無く大中小いずれでもないというだけ。
靖国神社は内務省主管でなく陸軍省海軍省の共管。
国幣社:主に国土の経営や土地の開発に功ある神を祭る。大社、中社、小社。
実際には祭神の区別は徹底したものではなく、はっきりした区別は、例祭において供進される幣帛神饌(へいはくしんせん)料が官幣社は宮内省から、国幣社は国庫から、の違い。
このようにして、信教の自由と政教分離原則をうたう戦後憲法下で、戦後は一宗教団体と規定されてしまった靖国神社を国家の中に位置付けたいという思考は、どうしても、靖国神社は宗教施設ではないという定義を求めざるを得ないのである。
敗戦前の体制が全く総括されていないことを意味している。
2024.02.26追伸
その後「赤旗」紙は「靖国」掲載の自衛隊参拝記事を以下の様に報道している。
2/17紙面 海自幹部ら165人 違憲の靖国参拝 昨年5月 制服姿 毎年実施か 事務次官通達に抵触
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik23/2024-02-17/2024021701_01_0.html
2/26紙面 海自集団参拝 25年超前から 侵略美化の遊就館も「拝観」靖国神社社報に掲載
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik23/2024-02-26/2024022601_02_0.html