メビウスの輪を解体する
2023/07/08 東京新聞夕刊 共同通信配信記事
非人道性が強い兵器だが、 難航が指摘されるウクライナの反転攻勢を後押しするために必要だと判断し、慎重だった姿勢を転換した。人権団体は反発している。
親爆弾から多数の子爆弾をまき散らすクラスター弾はロシア軍の塹壕への攻撃に有効だとされる一方で、紛争終結後も不発弾が市民を脅かす。国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチが供与しないよう求めていた。
ロシアについて侵攻当初からクラスター弾を使ってきたと批判した。
ロシア軍にウクライナが支配されれば「民間人に被害が及ぶ危険性は大きくなる」と述べ、自衛のためにクラスター弾を使うのは正当化できるとの考えを示した。
ロシアのクラスター弾は不発弾発生率が30ー40%だとし、米国が供与するのは2 .35%以下で、民間人被害のリスクは小さいと主張した。
ウクライナ戦争が始まり500日、この間のこの戦争に関わる言説を、もはや、考古学の対象として思考することが可能になりつつある。
ひとつの「言説の時代的なまとまり」という概念で分析を開始するには、それらの言説群を「自ら」とは別の原理で動作しているものだという理解が成立してしまうほど、「遠く」からそれらの言説の脈路について思考する体幹が必要であり、また、それは、それらの言説群に身を沈めた苦しみ故に、そこから抜け出さざるを得ない必然により動作を始めた行程でもある。
それはひとつの「メビウスの輪」、生の追求から初めていかにして死の礼賛に至るか、正義から出発していかにして殺し合いを正当化してしまうか、自由から初めていかにして服従を自らに課してしまうか、そうした論理進行への分析であり、それがどのような論理的混濁によって成立してしまっているか、の陳述となる。
原理1:比較による大小の判断を導入し、その比較される「悲惨自体」を思考の埒外とする。
パターン:より酷いものを、より酷くないものの行使によって阻止するのだから、より酷くないものの行使は正当である。
例:非人道的な兵器だが、もっと重要な正義(ウクライナの反抗)のためには必要だ。
論理効果:非「正義=人道」は「正義=人道」よりも価値がある、という矛盾の着用。
原理2:敵と味方の悪の均衡論
例:ウクライナにクラスター爆弾を使わせることは、敵のロシアは以前からクラスター弾を使ってきたのだから、均衡する。(非人道性は中和される)
これらの論理で徹底的に排除されるのは言い訳やもっと積極的に主張されている「敵の殲滅」のためにということが具体的に実現する内容、すなわち、誰かを殺すこと、身体を傷つけること自体の意味であり、その現実が全く問われなくなる効果がこの論理の成果物である。
これらを考えていくために参照すべき陳述
最初から戦闘自体を批判してきた反戦自衛官小西誠氏の言説
愛国心・自らの領土を守る英雄。VS 手や足を失った身体、死体。
仮象としては「国家」が「市民」に死を課していると見えるし、それへの反応として「国家」を対象にした非難の言説は可能だ、が、実際には思考脈路の混濁が国家、市民等の概念結節を生み出しているに過ぎず、その脈路が依然として思考課題。双対性として成立している「国家」-「個人」という空間を自解すること。
最終的には、固有名詞の終わった後、言い換えれば、単語はすべて差異による生成であることの理解の後の行程、すべての陳述は、思考の論理の誤りの除去、真理の生成の問題に寄与すべき材料となる。
真理とは整合性の別名に過ぎず、整合性を生成していく過程に「真理」は置かれることになる。