昭和天皇、拝謁記、百武三郎日記
昭和天皇が語る開戦への道 後編 1937-1941 日中戦争から真珠湾攻撃 NHK ETV特集 2021/12/11
NHKサイトでの番組説明
敗戦直後、昭和天皇は太平洋戦争への道を詳細に語っていた。初代宮内庁長官・田島道治の「拝謁記」。激変する国際情勢のなか軍の勢いを止められなかった悔恨を述べていた。さらに今年9月、天皇の侍従長・百武三郎の日記が公開された。日米交渉に期待しながらも独ソ開戦で不眠となり、東條英機に組閣を命じ開戦を決断する天皇。その苦悩が克明に記されていた。2つの新資料から昭和天皇と側近たちの戦争に再現ドラマを交えて迫る。
上記番組を見て
研究者たちへのインタビューの中では歴史学者の加藤陽子氏(2020年、日本学術会議への任命を政府によって拒否された人文系研究者6人の内の1人)が「大元帥である天皇が軍部の政治関与を止められない これが衝撃でした」と述べていた。
戦後の「拝謁記」で天皇が戦時中の事として話したことを百武三郎日記の記載と照合し、事実経過を示している例もある。たとえば、南京事件について、拝謁記では、天皇は薄々聞いてはいた、と書かれていたが、百武日記の1938/1/31に「南京に於ける陸兵暴行に関する英紙情報は皇軍将来のため □支那統治のため大影響あるに付き敢て聖鑑に呈す」とあり、イギリス紙の報道を天皇に伝えていたことがわかったという。(□は私には判読できない字でした。)
NHK昭和天皇「拝謁記」
https://www3.nhk.or.jp/news/special/emperor-showa/?tab=1&diary=1
昭和天皇拝謁記 岩波書店から2021年12月より全7巻刊行開始
https://www.iwanami.co.jp/news/n43580.html
1941/12/1御前会議での米英への開戦決定について再現ドラマでは以下の様に「拝謁記」が展開される。
昭和天皇の語り
あの場合若し戦争にならぬようにすれば内乱を起こした事になつたかも知れず 兎に角負け惜しみをいふ様だが 今回の戦争はああ一部の者の意見が大勢を制して了った上はどうも避けられなかつた のではなかったかしら
「拝謁記」=田島日記の記述
しきりに勢いの赴く所実に不得已(やむをえぬ)ものがあつたといふ事を仰せになる
昭和天皇の語り
私はあの時東條にハッキリ 英米両国と袂を分かつといふ事は実に忍びないといつたのだから。
田島氏の語り
陛下が「豈(あに)朕(ちん)が志ならんや」と仰せになりましても結局詔書に書いてある理由で宣戦を陛下の御名御璽(ぎょめいぎょじ)の詔書で仰せ出しになりましたこと故 表面的には陛下によって戦が宣せられたのでありますから 志でなければ戦を宣されなければよいではないか といふ理屈になります。
朕が志ならんやは宣戦の詔(みことのり)には決まり文句で日清日露のときにもあります故 これは陛下の御真意に背いて不得已(やむをえず)出すのだとは考えませぬが普通で 田島などもその一人でございます。
昭和天皇の語り
ソーか。
このやり取りからは、「昭和天皇」という個体の「責任」、とか、「意志」ではなく、一つのメカニズムとして流されていく思考の形、そして、その形が、この話をしている時点でも継続していることが示されている。
「下剋上」だったと天皇が戦後話す、その時々の決定に流れこんでいく動態への現実的な批判を成立させるためには、やはり、その論理の誤り、錯誤を丁寧に分析していくしかない。なぜ、疑問を言い出せなかったのか、それぞれの立場でその動態は異なるだろうが、そのそれぞれの場所での思考脈路をたどり、論理的な欠落部分を明確に取り出すことが、再びその誤りに至らないために必要なことだ。
神の末裔、大元帥、神聖不可侵である生命個体としての「天皇」の設定により、その存在への懐疑言説は日常生活でのふとした一言まで徹底的に取り締まる一方で、その大元帥と国家の意志は「自由」ではなく、様々な怯えや思い込みの力学で決定されていったものに過ぎず、結局、後には「勢いでそうなってしまったのだ」などと言う述懐で済まされてしまう受動的で非合理的なものであったことに、我々は刮目すべきだ。
その「全国民的な受動性」のために、いかに多くの悲惨が地上に降り注がなくてはならなかったかを思えば、その、悲惨を招いた思考の形、最高決定権を持つとされた存在が、あれは仕方なかったのだ、という、それは仕方なかったのだという陳述で閉じてしまう、その思考の形は、今現在もそれを分解して無効化すべき切実性として有り続けているのだ。
「それ」への批判を封ずる構成(正しいものは正しいという同義反復)は「内容」をもっておらず、具体的に「それ」が行なう判断過程の脈路は別の論理空間であり、後者の脈路こそが実効性を持つ空間であるが、その脈路への関与は、正しいものは正しいという定義上の同義反復を侵すものとして、神聖を侵すものとして阻止されているのだ。そのようにして「専制」は完成するが、これは現在でも作動している非合理であり、論理的混乱である。
そのような意味で、こうした資料を検討するにあたっては、「昭和天皇」や「軍部」や誰それといった「主体」について、良かった悪かったの判断を下す空間に思考を留めるのではなく、現在もここで、私たちの生活の中で起き続けている事柄として、言い換えれば、私たちが話している「日本語」の論理の問題として捉えて行くべきなのだ。
「天皇」問題は依然として、日本語で考える者にとっては最重要課題であり続けている。
NHKが開戦80年の特集として作成したこれらの番組の中で、実際に従軍した兵士の証言(歩兵第11連隊の太平洋戦争~“銀輪部隊”英雄の真実 BS-1スペシャル 12/19)と、この大元帥の言葉とを同じ視野に入れて、それらが同時に起こっている状況とは、何が問題なのか、について分析しなくてはならない。
参考:宣戦詔書の決まり文句としての、「豈朕カ志ナラムヤ」
1941年12月8日 米英宣戦詔書
「今ヤ不幸ニシテ米英両国ト釁端(きんたん)ヲ開クニ至ル 洵ニ(まことに)已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ」
1904年(明治37年)2月10日 日露戦争の宣戦詔書
https://www.jacar.go.jp/nichiro/sensen_syousyo_01.htm
国立公文書館 アジア歴史資料センター HPより
「今不幸にして露国と釁端を開くに至る豈朕か志ならむや。」