議論ということについて言えば、「真理」というのは、論理的整合性の別名だと思っていますので、
2020年8月19日
2021年5月13日
議論ということについて言えば、「真理」というのは、論理的整合性の別名だと思っていますので、それは過程としてその時点で「真理」として認められているに過ぎないこと、だと理解する必要があると思います。
これは科学の進歩における言説をふりかえると、容易に理解できることだと思います。二つの相反する意見が提示され、実はそれら二つを貫く根源的な原理を見いだしていく、というような進化を遂げてきたように思います。
社会的な理解のしかたも実は科学と全く同じで、ひとつの世界の中でそれぞれが固有の位置を取らざるを得ないものとしての「個人」がさまざまな立場の意見を言い、さらにそれを整合的に説明できる、別の根本的な原理を発見していくということが必要なものであると思います。
現在、私たちの世界で最大の課題は、貨幣、お金という「もの」の「力」はどのようにして成立しているかを分解して、その解体によって、事物の力、あるいは、労働の力自体を開放していくことだと思っています。(「資本」主義の解体)
コロナ騒ぎでの「経済的破滅」とは、貨幣、金融、ではなく、人間の活動自体=たとえば、ストライキが見せる、労働:人間活動自体が社会を作っていることの単純な証明にすぎないと理解しています。活動自体を禁じてしまえば、いくら「お金」をばらまいても、社会は成立しません。
ー記事をシェアするー