労働組合の社会的機能
2019年12月22日(日) 「完全護憲の会」に関係する友人からの依頼により話した際のレジュメ
労働組合の社会的機能
2019-12-22(日)
於:三田いきいきプラザ
ビルメンテナンスユニオン運営委員長
要旨
① 労働組合の組織率の低下や、ストライキの減少のみに目を向け、「自分・達」の弱体化として捉える傾向性には反対する。
② 「労働組合運動」が前提としてあるのではなく、「現在の生きるための闘争が労働運動・労働組合の形態をとる場合」がある、に過ぎない、と考えるべきでないか。
③ 「賃金額」を追求するだけでは全く不足、我々がいかに喜びを持って生きられるのか、そのためにどのような制度を社会に作り上げる必要があるのか、それらの問いと熱情によってのみ、社会運動も政治運動も構成される。
④ したがって、闘争の「原型」は労働問題とか、貧困問題とか、ジェンダー問題とかに区分されず、誰にも共有される不定型な力動であり、現在の一見些細な運動の中にそれらのベクトルは必ず含まれて発現しており、それらを自覚化して励起していく事こそが、現在の課題ではないか。
⑤ 「自己責任」論を内側から破壊し、「我々」という編成に至る道筋を目指そう。
個人的な労働組合所属の経過
期間 | 労働組合 | 役職など | 出来事 |
1972~1987 | 国鉄労働組合 | 分会:青年部長、書記長、分会長 | スト権スト、ヤミカラ攻撃、国鉄分割民営化 |
1987~1991 | 某国立大学教職員組合 | 支部役員、本部書記長 | 公務員労組、停滞、推薦投票での役職決定。上部団体無し、学長交渉 |
2002~ | コミュニティユニオン | 個人加盟労組。運営委員 2004.09職域支部としてビルメンテナンスユニオンを結成し運営委員長 | ・当時所属していたビルメン会社と分会としての交渉 ・メンバーの個別労使紛争の相談、交渉。 ・他ユニオンの争議支援。 |
2005~2012 | 某ビルメン会社企業内組合 | 一般組合員 ビルメン労協加盟 | 成果主義労務管理と賃金制度導入 |
コミュニティ・ユニオン
・1984年、江戸川ユニオンが全国で最初。企業ごとに正社員だけを組繊した労組でなく、地域社会に密着して、パートでも派遣でも、外国人でも、だれでも1人でも入れる労組。
・おもに各地の地区労メンバーや、全国一般労働組合のような合同労組が母体で作られてきた。
・コミュニティ・ユニオン全国ネットワーク 1990年 約18000人 (事務局:下町ユニオン)
・最賃運動、非正規雇用差別への運動。
・財政的には厳しい。
ビルメンユニオンについて
・東京東部地域ユニオン協議会(通称:「下町ユニオン」江戸川ユニオン、ふれあい江東ユニオン、すみだユニオン3組合の協議会。各ユニオンと別に交渉単位にもなれる)。その中の職域支部の扱い。会社との交渉は「下町ユニオン」として行う。
・現在の組合員数は十数名に過ぎない。下町ユニオン全体でも300人程度。
・現在は同一企業内に複数の組合員がいる「分会」は無く、全員が1人組合員、また所属企業に組合員であることを通告していない人も多い。毎月の交流会。国家試験会場でのチラシ配布。
・下町ユニオンでは、パワハラ、労基法違反、外国人労働者の相談が多い。多くの人が問題が解決すると、ユニオンから離れていく傾向。「組織化」は全くできていない。
組織化:アメリカSEIUとの決定的な違い
※SEIU:サービス従業員国際労働組合。米国・カナダ・プエルトリコに支部組織を持つ労働組合。医療・介護・福祉・ビル管理・公務員などを中心に多様な職種の労働者で組織される。少数民族や移民を含む非正規の低賃金労働者を積極的に組織化し急成長をとげた。約210万人が加入。(デジタル大辞泉による)。⇒中南米からの移民清掃労働者の組織化を描いた映画「ブレッド&ローズ」2000年ケン・ローチ監督のモデルになった。
同組合Webの記述「毎日、200万人のService Employees International Union(SEIU)のメンバーが命を救い、病気の世話をし、高齢者や障害のある人々が自立して生活できるようにし、子供たちを教育し、コミュニティを清潔で安全で健康な状態に保ちます。 病院や養護施設、公立学校、大学、空港、図書館、法執行機関、商業オフィスビルなど、さまざまな環境で働いています。」「私たちは、公正な社会のビジョン:すべての労働者が評価され、すべての人々が尊重される、私たちがどこから来たのか、何色であるのかに関係なく、すべての家族やコミュニティが繁栄できる場所、を信じて戦います。私たちが、来るべき世代のために、より良い、より公平な世界を残すために、私たちに加わりませんか。(クリックして連絡先入力、送信できる。)
その他、マクドナルドでの時給1500円獲得世界キャンペーンなど、具体的な闘争課題へのリンク。
日本での大規模な非正規労働者の組織化は?
連合笹森会長時代2001-2005 2002年 パート労働者に公正な処遇を!「パート・サポート市民会議」結成 2003年 外部の有識者による「連合評価委員会最終報告」
UAゼンセン同盟、傘下に介護クラフトユニオン。その組織化方法は基本的に企業別に上から網をかけていくやり方だと言われており、SEIUとは全く異なる。Webでの記述: UAゼンセンには、繊維・衣料、医薬・化粧品、化学・エネルギー、窯業・建材、食品、流通、印刷、レジャー・サービス、福祉・医療産業、派遣業・業務請負など、国民生活に関連する多種多様な産業で働く仲間が集結しています。 その数は、2019年9月10日現在で2,333組合、1,793,050名と、日本最大の産業別労働組合です。・・中期ビジョンでは現在の社会的課題と将来の姿を見据え「一人ひとりが人間らしく、心豊かに生きていく持続可能な社会」を目ざす社会像とし、3つの転換を図ることとしました。①量的な発展ではなく質的に発展する経済・社会への転換、②人口急減・超高齢社会を前提とした社会・経済システムへの転換、③多様な人材が社会を支える人材立国に向けた転換、です。
また、この転換を進めるため、UAゼンセンは雇用の側面、産業の側面、仕事と生活の安心の側面、そして地域社会の側面から4つの挑戦を進めていくこととしています。
⇒アメリカとの違いは? 労使関係の中での完結性、静止した社会イメージ、抽象的な要求。違いはどこから? ⇒ SEIUは移民という差別の問題も闘争に内包しているから社会的な変革の意思が全面にでている。(下町ユニオン専従者の説) ⇒ 日本ではそうした問題は存在しないのか?
コミュニティ・ユニオンで相談される問題は、労/使の枠を超えている
・いかに生きていくか、に集約される印象。技能実習生、外国人差別、いじめパワハラ、メンタル問題、全くの労基法無視、労災、賃金未払い等々。
・もちろん企業内組合も世話役活動は実施しているが、違いは、組合員がそれを相談するのではなく、相談のために新たに組合員になること。
経験から見た日本の「企業内労働組合」の特性
・企業経営の規範性に包摂されている。「企業:会社」を超えて自らを規定することがない。
・国鉄分割民営化時の議論。企業がなければ我々は存在できない、という自己規定。
・ビルメンテナンス企業での成果主義査定と、賃金制度の導入に直面。
一人ひとりが査定で賃金やボーナスが決まるなら、組合の価値はどこにあるのか?という意見。
・「自己責任」「分断」の極限化
・もちろんそれらが構成されてきた歴史があるはず。また過去が素晴らしかったわけでもない。
組合組織率やストライキの減少は結果であって、日本での労働運動低下の原因ではない。
・資料1、日本の労組組織人員、組織数、争議の長期的減少
・資料2 国際比較で見ると、労組の組織率と労組の力は直接関係が無いように見える。
・各国での労働現場の調整に関する法規定の違い、制度的差異も考慮に入れるべき。
・結局、「労働者」の自己規定の「思想内容」が核心。
・どのような変化、脈路により現在が生まれ、どのように新たな変化への希望を見いだせるか。
国労での個人的な経験から見た日本の労働組合における自己意識変化
・民間企業では。1950年代からアメリカへの労組幹部視察、1960年代からの民間企業での生産性向上運動、QC活動・TQC活動の導入と大企業での1970年代の第一組合への暴力的な対応。
・国鉄では反マル生(生産性向上運動への反対)闘争(1970年代前半)「勝利」。
・1980年代、国鉄職員攻撃、「民間」VS「公」という区分構成の徹底。攻撃されるべきものとしての「公」=すなわち作り上げていくものとしての「公」が削除されていく過程。
・1987年国鉄分割民営化。企業内労働者という自己規定への包摂の完了。総評、社会党消滅、新自由主義、「自己責任」の天下へ。
・職場では、分割民営直前、初めての、賞与への個人査定導入によりマイナスだった人への自然発生的なカンパが取り組まれていた。
・組合の持つ「外在性・外来性」。⇒「乗務員会」と「組合分会」との2重性から垣間見えた。(これは重要な視点かもしれない。)
・しかし、それらの仲間意識は、確かに企業意識には回収されない動態であった、が、国鉄の下請け労働者へまではその範囲が届いていなかった。
・思想的な闘いの不徹底。(注:参考1)
自己責任論、自己、を疑う (注:参考2)
・経営者⇔労働者という膠着した一対性の理解による完結した自己意識こそが「支配」を現象させているものではないのか。労働者であり続ける限り、対極に経営者や資本家も存続させてしまう。
・「新自由主義」は、そのような完結した「自己意識」の中で支配として成立している。(「自己責任」)しかし、そのような「自己」を内側から食い破る力も又存在する。
たとえば、非正規労働者、パワハラ・セクハラ、シングルマザーの貧困問題、女性への性暴力への対抗、等々の諸運動は、賃金額の「多少」ではなく、差別への対抗こそが核心である。
・変化を自覚すること。1789年のフランス革命は、私たちは一人ひとりが平等なのだ、と高らかに宣言したにも係わらず、その中に女性や奴隷は含まれていなかった。日本で女性が選挙権を得たのはまだ70年ほど前で、男性にしても1925年まで一定額の税金を納めた人しか選挙権はなかった。「歴史」はこうした人権の適用範囲が拡大していく過程として見ることもできる。学校で習う知識は受験勉強のためではなく、それを自らに適用し、「変化していくものとしての我々」という主体を生きるためにあるのではないか。また、マルクスはフランス革命で、政治的には個人の自由や平等がうたわれたにもかかわらず、現実の社会では平等でも自由でもないことの理由を探るべく、「貨幣」というものについての分析にのめり込んだのではなかったか。
・更に進めれば、「個人」を絶対の単位として物事を組み立て、判断するやり方、選挙・多数決もその1つだが、それらを「民主主義」と呼ぶようになったのも歴史の中に起源と終わりを持っている思考であると考えざるを得ない。
賽の河原という感覚から全力を出す力動感へ
・「コミュニティ・ユニオンの活動は賽の河原に似ている」
組織が増えない、この運動は必要なことなのだが、どこまで力を及ぼせたのか、運動の世代交代もうまくいってはいない、等々の声。
・差別・不合理への、もう我慢できないという、自身の、又隣人の、(結局は地上のすべての人の)声を聴き、それに沿って徹底的に考えて新たな行動様式を生みだすこと。
・その際、貨幣がどのように「人」を動かすのか、その「自己」の中での脈路の検討は、最大の課題になるだろう。すなわち貨幣の無力化、ストライキによって析出される、「賃金では代替できない、仕事自体の価値」を直立させること。(無人島では紙幣は鼻紙と火種ぐらいにしか役立たない。)
・それらの力動が、コミュニティ・ユニオン運動であるか、住民運動であるか、なんであるか、自らを制限しないという原則。あらゆる手立てで人と繋がること。「自立した個人」ではなく、共同する「我々」として活動を始めること。「主体」ではなく、それを形成している「脈路」に注目すること (注:参考3)
・人類学、宇宙物理学、歴史学、etcの成果を自らに適用すること。諸国家にそれぞれ所属する個人、ではなく、人類の誕生から様々な経過を経て、現在諸国家を形成して存在している1つの「我々」という共同性で歩み始めること。
以上
資料1 労働政策研究・研修機構(JILPT)Web 早わかりグラフでみる長期労働統計 より
※どの国も組織率は低下傾向
フランス(2014年) 7.9%、韓国:10.3%、シンガポール20.2%、マレーシア6.6%、
フィリピン(2014年) 8.7%、オーストラリア(2014年) 15.1%。ILOデータベースによれば、
デンマーク67.2%、フィンランド64.6%等、北欧で高い。
※労働組合の組織率と、闘争の活発さとは直接関係が無いように見える。
最近年金改悪反対の大きなストライキが伝えられたフランスの組織率も7.9%なのだから。
なぜそのようなストが可能なのか。フランスでの労働組合の位置が日本とは違う、ということは、想像できるのですが、知識と経験がないために実感的にその差異を感じ取るすることができません。現場労働者が理解でき、実感出来る、世界の労働社会の差異についての入門書が欲しい所です。日本の状況を相対化し、またどのような制度を導入するべきか考えていくためにもそれらの知識は必須です。
例えば、「フランスにおける企業内従業員代表制度」シルヴェーヌ・ロロム(ジャン・モネ大学教授:日本労働研究雑誌No. 630/2013年)によれば、フランスの1946 年憲法の前文は,「すべての労働者」が「その代表を通じて,労働条件の集団的決定と企業の経営に参加する」権利を明らかにしており、従業員代表制度は法律によって規定されている。フランスの制度は,職場において二元的な労働者代表制度を持つという点に特徴がある。企業委員会(comité d’entreprise)と従業員代表委員(délégué du personnel)は,企業の労働者によって選ばれる。これに対して組合代表委員(délégués syndicaux)は,代表的組合によって指名される。フランスの法律は,団体交渉を行い労働協約を締結するという労働組合の役割と,使用者による一定の意思決定の際には情報提供と諮問を受けるという企業委員会の役割を区別しており,労働組合と企業委員会は異なる任務を遂行している。とのことであり、日本における「労働組合」とは位相が異なる。
注:参考1
「使用者とわれわれ個々の労働者は、人格としてはもちろん対等である。しかし、われわれは使用者の指示、命令に従って働いている。なぜだろうか。理由は、われわれは国鉄と労働契約を結んでいるからである。……われわれが『私はこれから国鉄職員として労務に服しましょう、一定の時間を決められたとおり働きましょう』、これに対して使用者は『その労務に対して月々何万円の賃金を払いましょう』、こういう労働契約が結ばれたから、ここに一定の業務上の命令、服従関係が生じたということである。賃金を得て、労務に服することを、自らの意思で約束したのであるから、自分の意に反する命令や拘束を受けているわけではないのである」(通信教育教科書「鉄道一般」日本国有鉄道刊、中央鉄道学園編集1951年初版、1975年44版改訂p119 強調引用者)
注:参考2
ニーチェが主体についてそれは行動の起点では無く、むしろある力動の結果への呼び名に過ぎないと喝破して以降、ある主体を問題解決の起点と終点にする思考はその不十分性を問われ続けており、20世紀の思想家たちはその衣鉢を継いでいる。
*「〈我〉とは、思考する働きそのものによって作られる一個の綜合物にすぎないのではないか」『善悪の彼岸』信田正三訳 ちくま学芸文庫 p102、
*「一般の民衆が稲妻をその閃光(せんこう)から切りはなし、後者(閃光)を稲妻と呼ばれる主体の活動であり作用であると考える」ように「民衆道徳もまた強さを強さの現れから切りはなし、あたかも強さを現わすも現わさないも自由自在といった、超然たる基体が強者の背後にあるかのごとく思いなす。がしかし、そのような基体は存在しない。活動、作用、生成の背後にはいかなる〈存在〉もない、〈活動者〉とは、単に想像によって活動に付加されたものにすぎない、――活動がすべてである」『道徳の系譜』信田正三訳 ちくま学芸文庫 p404
注:参考3
第28回コミュニティ・ユニオン 全国交流集会inひろしま 2016年10月1日-2日に韓国から招いた「共に生きる希望連帯労組」について。
2009年に結成し現在はケーブルテレビ敷設労働者を中心に組織化しているが、彼らの問題意識は次のようなものだったという。30年を経た民主労組運動にも係わらず、組合員は職場では闘っても家に帰れば資本に従属したまま教育費に苦労し、株式投資をしたり、他人と競争し、あくせく生きている、したがって労組も実利を保証するならOK、たまに戦闘的にならざるを得なくても社会権利闘争には無関心。そのような「塀の中の労働運動」は生活政治に顔を背け、根のない政権奪取戦略で労働者の政治勢力化に失敗した。それらの反省の中から、地域で共に生きる暮らし、下へ向かう運動、生産(職場)と再生産(暮らしの場)空間を併せ、自らの労働の公共性も自覚した労働組合活動を志向した。賃上げの一部を組合が確保して社会貢献基金とし、地域での青少年事業を皮切りに貧困家庭の居住環境改善事業、食事支援事業などを組合員がおこなっている。3200人の正規・非正規を組織し、職場での激烈な闘争も辞さない彼らだが、組織化(一緒にやろうと呼びかけ納得させる言葉と行動)、その熱情の元になる根本的な力動に大いに励まされた。(下町ユニオンニュース 2016年11月号から)