文部科学省
2019年10月1日
2021年5月13日
文部科学省
学校で学んだことが、明日、そして将来につながるように、
子供の学びが進化します。
新しい学習指導要領、スタート。
人類史の勉強は当然、それぞれの国家や社会の生成を分析させる。ところが、その生成の現時点での結果である個別国家を今度は基体としてしまって、諸国家の弁別から始めて陳述を組成していくことは、「学校で学んだことが、明日、そして将来につなが」っていないことになる。
戦前の教育では、考古学はどう位置付けられていたか。
『日本歴史の特性』 坂本太郎 講談社学術文庫 1986年
p284-285
当時はもちろん文化財保護委員会はありません。文部省の宗教局で国宝の指定、史跡の指定を行っていたのでありますが、この宗教局で紀元二千六百年の記念事業として、神武天皇の聖蹟を指定、顕彰する事業を行いました。その時に学者が十数人動員され、神武天皇聖蹟の調査をしたわけであります。私はまだほんとうの若輩でありましたが、その末席に加わり……
今日の若い人は、神武天皇は烏有の人物である、その聖蹟とはおかしいと思うかもしれませんが、私は決してそうは思いません。神武天皇の事蹟はは『日本書紀』「古事記』にはっきりと現実の地名に即して述べられているわけであります。これが仮に伝説であるにいたしましても、古典にそのような土地が示されていることは、厳然たる事実でありまして、その当時の人はそれを架空なものとして書いているわけではないと思います。これはいまのどこである、だからこういう名前がついているのだと、いちいちその地名を述べているわけであります。ですからその当時の人々がそう述べている土地が、今日のどこに当たるか、ということは、学問的に大事なことであります。
そういう意味で、私どもは聖蹟調査と言うことになんの疑念も持ちません。当時の文部省はよいことをしたと思っております。
当時の委員は主として歴史家でありまして,私の先生でありました……先生……というような大家ばかりでありました。そのほか、人類学の・・先生、地理学の辻村太郎氏などです。
なお、いまからみますと、大変不思議に思われますが、考古学の方は一人もはいっておりません。これは当時の考古学界に对する考え方を示すものとして、今昔の感にたえません。主として文献と地理学によって、指定をしたわけであります。
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