500年前の責任
2018年11月6日
2021年6月24日
2001年に南アフリカで開かれた植民地主義や人種主義、奴隷制などを議論したダーバン会議では、500年近く前の問題が話し合われました。イギリス政府は、反植民地独立運動「マウマウ団の 乱」での弾圧について、公式謝罪がなかったものの、遺憾の意を表 明し、被害者に補償金を支払いま した。
20181104 赤旗 新潟国際情報大学国際学部国際文化学科教授
よしざわふみとし 吉澤文寿さん
500年後の責任とは、個人主体への責任ではない。植民地を支配したものとして指示される、例えばカテゴリーとしての「日本人」や「イギリス人」への責任を問うものではない。実際には、そのような、現在、日本人、イギリス人として規定される者に責任がある、とすると、生まれてもいないのに不合理だ、とかいう周辺論議を付随させなら、だからそのような責任追及は無理だ、無効だ、という着地点を示唆し、結局殖民地支配を肯定するに至る。
が、500年前の殖民地支配への責任とは、そのような人類の歴史を自ら負う(解決する)責任を持つ者、としてそのような支配についての分析、それを遂行する責任であって、誰もが負う責任ということになる。
その空間での主体は偶然的に規定される個人主体ではなく、一般的な主体、となる。個人を分解した後に現れる主体。
追加
2019/01/27
「植民地時代の罪・犯罪性をどうするかは世界の決定的な対立点の一つであり、被害者の要求を認めざるを得ない一方で、巻き返しも強くなりかつてより激しく攻防している」京都大学の永原陽子教授(歴史学)
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