1950年元号廃止法案
2018年2月18日
2020年7月10日
2018/02/18
あるMLへの投稿から
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安い、通勤中の電車内で読み切れる分量、等から東京新聞の読者をやってます。
今日(2018/2/17)朝刊4面「考える広場」に以下の訂正記事が掲載されています。
これは私が指摘して、対応して頂いたことですが、1950年の元号廃止法案を巡る議論についてはマスメディアではほとんど取り上げられていないようですので、ご参考に、東京新聞へ出した問い合わせ文を紹介します。(リンクは追加したものです。)
2月12日 東京新聞への送信内容
※文中で触れたボツになった元号に関する投書は以下のとおりでした。
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安い、通勤中の電車内で読み切れる分量、等から東京新聞の読者をやってます。
今日(2018/2/17)朝刊4面「考える広場」に以下の訂正記事が掲載されています。
10日「考える広場」面「元号のある風景」の社会学者鈴木洋仁さんの発言の中で、戦後すぐ元号廃止法案が国会に提出された」とあるのは「元号廃止について国会で議論された」の誤りでした。法案の提出はされていませんでした。
これは私が指摘して、対応して頂いたことですが、1950年の元号廃止法案を巡る議論についてはマスメディアではほとんど取り上げられていないようですので、ご参考に、東京新聞へ出した問い合わせ文を紹介します。(リンクは追加したものです。)
2月12日 東京新聞への送信内容
記事について照会します。 2018年2月10日朝刊、考える広場「元号のある風景」の中で、鈴木洋仁氏への聞き取りとしてまとめられた記事の件です。
「戦後すぐ元号廃止法案が国会に提出されたのは、」とありますが。これは1950年2月13日朝日新聞が「元号廃止、西暦へ」参院文部委で研究中 という表題で報じていることを指しているのでしょうか。もしそうだとすると、この法案は、国会には提出されなかったのではないでしょうか。「提出」という言葉の意味の取り方の違いだ、ということになるかもしれませんが。
元号法制化が議論になっていた1979年3月8日の朝日新聞夕刊の「世界暦」と「天皇暦」--元号問題を考える-- で武田清子氏が述べているように、「1950(昭和25)年2月には「元号廃止」の法案」(「年の名称に関する法律案」)が用意され、今にも提出されるか---という状況にあった。-中略-文化財保護法を通すことが緊急の必要となり、これを提出することを控えたというような事情で、沙汰(さた)やみとなったようである。」という経過だったのではないでしょうか。
参院のホームページから、第7回国会参議院文部委員会議録(第6号~9号)で「元号による調査の件」は読むことができます。 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/007/0804/main.html
これはあくまでも「調査」であって、提出された法案の審議ではありません。以前国会図書館でも確認したことがあるのですが法案としては提出されていないという回答でした。ご確認の上記事表現の適否についてお考えくだされば幸いです。
以下は私の感想に過ぎませんが、元号について東京新聞の論調はユルすぎるのではないでしょうか。先日、元号のナンセンスさを書いた投書をボツにされたから言うのではありませんが、1950年当時の議論の紹介なども含めて元号についてのずっしりと重みのある記事を「こちら特報部」あたりで読みたいところです。 ついでに天皇制クイズもやって欲しいです。昭和天皇のお婆さんはダーレだとやったら、明治天皇の奥さん、皇后でしょ、なんていう答え続出ではないでしょうか。正解の柳原愛子さんのお墓が東京祐天寺にあることなどどれだけの方が知っているでしょうか。
つい数十年前まで常識だったことが隠されてしまうそのこと自体を新聞は掘り出して私たちが何者であるかを照らし出す、そういった力をまだ持っていると思います。
ご奮闘を祈ります。
※文中で触れたボツになった元号に関する投書は以下のとおりでした。
2019年に予定される天皇の譲位により改元が行われ、本年中には新元号が発表されるという。しかし今後も元号を使用すべきかどうかについては大いに議論すべきである。 元号の最大の問題点は、数値としての連続性がなく、リセットされてしまうこと、しかもそのリセット時期は天皇の代替わりによるので、原理的に予測できない事にある。 さらに、我々の生活がますます地球的な規模で展開しているにもかかわらず、元号は日本国内でしか通用しない。この2つの理由から我々は常に換算の為の個人的な労力と社会的なコストを費やしている。その不合理は廃すべきではないのか。 元号使用を是とする意見の1つにこれは日本の伝統だからという言い方がある。しかしすべての伝統にはそれが作られた起源があるのであり、伝統だからという思考停止にとどまるのではなく、自らが新たな社会の伝統を作リ上げる主体になることを恐れてはならない。 今回のように退位という予め時期を決定できる場合であるにもかかわらず、5月1日などという年の途中から変えるということ自体が歴史を記録するための紀年方法としての欠陥を如実に示している。そのような紀年方法によって行政が進められ、しかもその事について十分な議論が起きないとすれば、その社会は自らの将来について責任をもって決定していくという矜持を見失ってはいないだろうか。 私はこのような、世界に通用しない、リセットされる独自の紀年方法を使用し続けることが、歴史を軽んじ、公文書を恣意的に廃棄してしまったりする心性と重なっているのではないかと恐れている。
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