元号・天皇制
2017年4月6日
2020年7月10日
2017/04/06
※ちなみに、誤解のないように加えておくが、ここでの国家形成とは中国、韓国、アメリカ、日本、ロシア、等々と言った、諸国家間の弁別によってその中での右顧左眄や生き残り術の優劣を論ずる水準とは全く別の原理によって、我々、国家、を構成(constitution:憲法)しようとする動態のことである。その動力は例えば、この間の「戦争法反対闘争」の中で生まれた最良のスローガンだと私が感じている「誰のこどもも殺させない」と言う決意である。そのようなことのためには国家はどのようなものにしなくてはならないか、その事を集団的に作り上げる過程性のことである。
この1950年の記事は、最近のマスメディアに散らばる天皇制議論のあまりの緩さに、昔作った天皇制に関するスクラップ帳をたどっていたら、元号法が議論になっていた頃、1979年3月8日朝日新聞掲載、武田清子氏の「『世界暦』と『天皇暦』―元号問題を考える(上)― 二つの極を揺れ動く 拠り所不在の国民思想」という論考の黄ばんだ切り抜きを再発見し、その冒頭に紹介されていたことから今回確認したのである。
同論考で武田氏は1950年には参議院の参考人25名中20名が元号廃止に賛成であり、『夕刊朝日新聞』の「西暦一本建てをどう思うか」「各界知識人にきく」のアンケート結果も元号廃止論者が圧倒的に多い(1950/2/2)ことを紹介している。「これらの廃止論に見いだす理由は,世界共通の西暦一本にする方が国際的に合理的であり、また便利だということ、および、「国民主権」を規定した新憲法下において天皇の名を冠した元号を公文書等に使用することは、依然として「天皇主権」の印象を与え、憲法の精神に反するということなどであった」「以上のように、敗戦の衝撃から立ち直り、新憲法が施行され、単独講和にせよ、講和条約締結によって、第二次世界大戦以来の長い鎖国から、国際社会への復帰を目ざす意気込みの強かった歴史的段階にあって、年を数える尺度に、西暦を、西洋のみの暦(こよみ)とは限定せず、むしろ「国際暦」、「世界暦」という意識で使用することを主張する人たちが、識者の中の八〇パーセントを占めていたことは注目に値いする」「二十九年の時の流れを距てて「元号」に関して全く逆の法案が用意されるという現象は、日本人の何を物語るかを私共に考えさせる。何年かの時の流れを距てて、同一のものに対して全く反対の考え方が出てくるのは必ずしも元号問題に限らない」と述べ、その事例として、明治初期の文明開化のころには、封建主義を克服し「一身の独立」と「一国の独立」のバランスにおける近代化の方向を指し示すものとしてポピュラーだった福沢諭吉の『学問のすすめ』や『文明論之概略』が、国家主義、国粋主義にゆれかえした明治二十年前後の時期には危険視されるようになったこと、明治末年から大正期にかけての憲政擁護運動、デモクラシーの高揚期には、思想界の支持を受げ、一般的にも明治憲法の正統的解釈とみなされていた美濃部達吉のいわゆる。天皇機関説が、血盟団事件、五・一五事件につづいて、超国家主義の思想傾向が強まる昭和十年には。”国体信仰”のタブーの前に国家権力によって公的に禁止され、美濃部教授自身東大を追われたことをあげている。そして、「国民思想(思潮)が国際主義あるいは、合理主義的思想にむかって関かれている時期と、日本の特殊思想に固執して閉じた伝統主義に向う時期とが、時計の振り子のように反復を繰り返してきたように思える。「世界暦」と「天皇暦」との間を二十九年の時の流れを隔てて一つの極から他の極へゆれている元号問題も、そうした反復の一つの典型的事例のように思える。国民の運命を未来にむかってきり開いてゆくための信頼出来る羅針盤なしに時の風向きのままに流されてゆく舟のような心もとなさを覚える。普遍的価値を見定めて,そこに特殊的価値を位置づけてゆく上に,共通の超越的な拠り所が国民思想のふところに不在のように思えるのである」とまとめている。
それから更に38年、「不在」はさらに極まっているかのように思われるが、国家を編成するものとしての主体へと「自ら」を逆転・遷移させていくためには、象徴天皇制への各人の視点を精査することが必要だ。象徴天皇制に対する態度は、知識としての「民主主義」か、民主主義を態度として生きているのかを分離する、リトマス試験紙のように働く。
2.象徴天皇制について
あるMLへの投稿から・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここ20年ほど象徴天皇制や元号について考えてきたことを皆様にも読んで頂き、皆様のお考えを承りたく、投稿いたします。
結論から言うと、私は今、「象徴天皇制」というのは、結果として、占領軍(アメリカ)が作り上げた、<被占領地住民の思考様式を無力化し、継続的に支配するための最強の枠組みだった>と理解しています。ですからその解体は喫緊の課題だと思っていますが、そのためには具体的な言説について丁寧な分析が必要です。
1.元号制について
① 社会がどのような紀年方法をとるかは西暦でも仏暦でも主体暦でも勝手だが、日本の元号のようにある個人の死去若しくは譲位という偶然によってリセットされてしまう紀年方法など、絶海の孤島のそれぞれに諸部族が没交渉で生活しているという設定ででもない限り、常識で考えたら、あり得ない。
② 例えば頑なに元号の使用を押しつけてくる行政はパスポートとなると逆に一切元号を出さないし、西暦使用の卒業証書をやり玉に挙げた産経新聞もWebの管理は西暦一本でおこなっている。ということは元号を使用する事にした論拠が問われなければならない。
③ 元号使用の根拠に「たとえ不便でも『伝統』だから」というパターンがある。「合理性」と「伝統」という二項対立をまず設定し、「伝統」を自らのアイデンティティーと規定することによって自己=伝統は変えてはならないという、まさに「自己循環」を形成して閉じる論理技法(論理偽法)である。
④ そこで初めて、明治期以来形成されてきた「近代天皇制」、いいかえれば、国家が「日本」をどのような「我々」として規定したのか、具体的な言説の分析が必要になる。
日本書紀で書かれた「天壌無窮の神勅」と明治憲法の「万世一系」の接続は、神がその孫を遣わして治めさせる事にしたのが「日本」=「我国」であり、現存する「天皇」はその子孫だという構成になっている。「国民」はその神の子孫によって治められる「臣民」なのである。文化人類学は、自分達の先祖が例えば森の奥深くに住まうコウモリだった、とか、○○だった、△△だった、などと様々に語る諸部族・諸民族を見いだすことができると思うが、自分達は神の子孫である天皇によって治められる国家である、という認識もそれらの単なるひとつのバリエーションに過ぎない。
日本書紀が編纂された時代、明治期に近代天皇制が構築された時代、いずれも、その時、「我々は神の末裔」だと叫び、そのように自己規定をしなくては保てなかったほど強い他者への恐れと対抗、心細さと、その反転像である尊大さが読みとれるように思う。
日本書紀で書かれた「天壌無窮の神勅」と明治憲法の「万世一系」の接続は、神がその孫を遣わして治めさせる事にしたのが「日本」=「我国」であり、現存する「天皇」はその子孫だという構成になっている。「国民」はその神の子孫によって治められる「臣民」なのである。文化人類学は、自分達の先祖が例えば森の奥深くに住まうコウモリだった、とか、○○だった、△△だった、などと様々に語る諸部族・諸民族を見いだすことができると思うが、自分達は神の子孫である天皇によって治められる国家である、という認識もそれらの単なるひとつのバリエーションに過ぎない。
日本書紀が編纂された時代、明治期に近代天皇制が構築された時代、いずれも、その時、「我々は神の末裔」だと叫び、そのように自己規定をしなくては保てなかったほど強い他者への恐れと対抗、心細さと、その反転像である尊大さが読みとれるように思う。
⑤ 現在、自らと区別されるものとしての近傍の地域、住民、例えば「朝鮮人」「中国人」「生活保護受給者」によって反照される「日本人」あるいは「しがない庶民」という自己意識によって、例えば「ヘイトスピーチ」やWeb上に罵詈雑言を書き連ねることによってようやく日々の慰安と自己確証を得ているに過ぎない心性は、実は近代天皇制構築期の時代の心性に近いのではないかと思う。周辺に迫る強大な科学技術力を持つ国家、あるいは周辺国家の経済的な発展によって自らが沈没していくのはないか、という不安、悲鳴や、混乱、劣等感が、自らを大きく見せずにはおれない、他者を攻撃することでの辛うじての自己保持、快感と通底している。
⑥ そうした屈折した自己循環からどうしたら脱することができるだろうか。「リセットされてしまう紀年方法など不合理極まりない」と誰もが気付いていながら、それを廃止しようとする動きの足取りに絡まりつく泥沼を形成してしまう、「不合理だけど日本の伝統だから」というような閉じこもりにどのような言葉を掛ければ良いのだろうか。天皇制や元号が伝統である、我々を規定するものである、というのなら、とりあえずそこから出発するしかない、しかし、すべての「伝統」がその生成された時期を持っている以上、それ以前の伝統を変容させて現在につながる新たな伝統を構成した時期が、言い換えればその新たな「伝統」を作り上げた「我々」がいたはずである。なぜ、いま、その新たな伝統を作り上げる「我々」として君は考え、行動してはいけないのか。「伝統」の不合理を正し、新たな伝統を作り上げていく勇気をなぜ持ってはいけないのか。日々の会社では「毎日のルーチンではダメだ、これからはイノベーションだ」とかナンとか責め続けられているのに、国家をより合理的に変革しようとすると急にしぼんでしまうのは、結局のところ、国家を構成する主体として君が自らを理解していないから、ではないか。そのような「受動的な国民意識」がこれまでの我国の「伝統」だったということに過ぎないのではないか。
※ちなみに、誤解のないように加えておくが、ここでの国家形成とは中国、韓国、アメリカ、日本、ロシア、等々と言った、諸国家間の弁別によってその中での右顧左眄や生き残り術の優劣を論ずる水準とは全く別の原理によって、我々、国家、を構成(constitution:憲法)しようとする動態のことである。その動力は例えば、この間の「戦争法反対闘争」の中で生まれた最良のスローガンだと私が感じている「誰のこどもも殺させない」と言う決意である。そのようなことのためには国家はどのようなものにしなくてはならないか、その事を集団的に作り上げる過程性のことである。
⑦ 「元号廃止、西暦へ」参院も文部委で研究中
この新聞の一面見出しは残念ながら昨日の新聞のものではない、
朝日新聞1950年2月13日号は以下のように伝える。
昭和という元号を今年一ぱいで廃止して、来年から外国と同じ西暦にしようとする動きが最近具体化し、目下参議院文部委員会岩村専門員の手で慎重に法案起草の準備が進められている。もしこの法案が国会を通過すれば、元号は昭和二十五年で打ち切られ明年一月一日からの公文書は西暦一本に統一されることになる。
この新聞の一面見出しは残念ながら昨日の新聞のものではない、
朝日新聞1950年2月13日号は以下のように伝える。
昭和という元号を今年一ぱいで廃止して、来年から外国と同じ西暦にしようとする動きが最近具体化し、目下参議院文部委員会岩村専門員の手で慎重に法案起草の準備が進められている。もしこの法案が国会を通過すれば、元号は昭和二十五年で打ち切られ明年一月一日からの公文書は西暦一本に統一されることになる。
結局この法案は提出されなかったが、参院のウェブサイトで文部委員会の議論が読める。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/007/0804/main.html
(上記リンクの第6号から9号までが該当)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/007/0804/main.html
(上記リンクの第6号から9号までが該当)
この1950年の記事は、最近のマスメディアに散らばる天皇制議論のあまりの緩さに、昔作った天皇制に関するスクラップ帳をたどっていたら、元号法が議論になっていた頃、1979年3月8日朝日新聞掲載、武田清子氏の「『世界暦』と『天皇暦』―元号問題を考える(上)― 二つの極を揺れ動く 拠り所不在の国民思想」という論考の黄ばんだ切り抜きを再発見し、その冒頭に紹介されていたことから今回確認したのである。
同論考で武田氏は1950年には参議院の参考人25名中20名が元号廃止に賛成であり、『夕刊朝日新聞』の「西暦一本建てをどう思うか」「各界知識人にきく」のアンケート結果も元号廃止論者が圧倒的に多い(1950/2/2)ことを紹介している。「これらの廃止論に見いだす理由は,世界共通の西暦一本にする方が国際的に合理的であり、また便利だということ、および、「国民主権」を規定した新憲法下において天皇の名を冠した元号を公文書等に使用することは、依然として「天皇主権」の印象を与え、憲法の精神に反するということなどであった」「以上のように、敗戦の衝撃から立ち直り、新憲法が施行され、単独講和にせよ、講和条約締結によって、第二次世界大戦以来の長い鎖国から、国際社会への復帰を目ざす意気込みの強かった歴史的段階にあって、年を数える尺度に、西暦を、西洋のみの暦(こよみ)とは限定せず、むしろ「国際暦」、「世界暦」という意識で使用することを主張する人たちが、識者の中の八〇パーセントを占めていたことは注目に値いする」「二十九年の時の流れを距てて「元号」に関して全く逆の法案が用意されるという現象は、日本人の何を物語るかを私共に考えさせる。何年かの時の流れを距てて、同一のものに対して全く反対の考え方が出てくるのは必ずしも元号問題に限らない」と述べ、その事例として、明治初期の文明開化のころには、封建主義を克服し「一身の独立」と「一国の独立」のバランスにおける近代化の方向を指し示すものとしてポピュラーだった福沢諭吉の『学問のすすめ』や『文明論之概略』が、国家主義、国粋主義にゆれかえした明治二十年前後の時期には危険視されるようになったこと、明治末年から大正期にかけての憲政擁護運動、デモクラシーの高揚期には、思想界の支持を受げ、一般的にも明治憲法の正統的解釈とみなされていた美濃部達吉のいわゆる。天皇機関説が、血盟団事件、五・一五事件につづいて、超国家主義の思想傾向が強まる昭和十年には。”国体信仰”のタブーの前に国家権力によって公的に禁止され、美濃部教授自身東大を追われたことをあげている。そして、「国民思想(思潮)が国際主義あるいは、合理主義的思想にむかって関かれている時期と、日本の特殊思想に固執して閉じた伝統主義に向う時期とが、時計の振り子のように反復を繰り返してきたように思える。「世界暦」と「天皇暦」との間を二十九年の時の流れを隔てて一つの極から他の極へゆれている元号問題も、そうした反復の一つの典型的事例のように思える。国民の運命を未来にむかってきり開いてゆくための信頼出来る羅針盤なしに時の風向きのままに流されてゆく舟のような心もとなさを覚える。普遍的価値を見定めて,そこに特殊的価値を位置づけてゆく上に,共通の超越的な拠り所が国民思想のふところに不在のように思えるのである」とまとめている。
それから更に38年、「不在」はさらに極まっているかのように思われるが、国家を編成するものとしての主体へと「自ら」を逆転・遷移させていくためには、象徴天皇制への各人の視点を精査することが必要だ。象徴天皇制に対する態度は、知識としての「民主主義」か、民主主義を態度として生きているのかを分離する、リトマス試験紙のように働く。
2.象徴天皇制について
① 15年前、天皇制について、天皇制度は天皇の一族への基本的人権を奪っているから、廃止すべきだという論点からいくつかの投稿を試みたが、いずれも採用されることはなかった。私が語っていることといえば実は20年以上前から同工異曲の反復に過ぎないのだが、昨秋ようやく地方紙に「象徴天皇制の廃止は避けて通れない課題だ」と明言した内容で掲載された。掲載欄の関係で大幅にカットされたものだったので、投稿した全文を以下に示す。
<象徴天皇制と基本的人権・憲法>11月2日付け本欄で、象徴天皇制が今後も発展することを願う高校生の意見を読み、その考えはもっと先まで進めていくことができるはずだと感じた。
彼は「天皇を権力者としてあがめるのではなく、日本国と日本国民を陰で支えてくれる存在と見ることが大事である」というのだが、生身の人間が国家の象徴とされるとはどういうことなのか、徹底的に考える必要がある。
象徴とされてしまった人間には、我々が自らには基本的人権として規定している、表現・居住地・職業選択の自由や、選挙権も、その出自だけを根拠として認められていない。このことを合理化することなどとうてい不可能だ。「日本国と日本国民を陰で支えて」もらう為にそのような一部の人間の基本的人権を犠牲にする必要があるというのではその国家と国民はまだ自律していないと言わざるを得ない。
1789年のフランス革命は、私たちは一人ひとりが平等なのだ、と高らかに宣言したにも係わらず、その中に女性や奴隷は含まれていなかった。日本で女性が選挙権を得たのはまだ70年ほど前で、男性にしても1925年まで一定額の税金を納めた人しか選挙権はなかった。「歴史」はこうした人権の適用範囲が拡大していく過程として見ることもできる。学校で習う知識は受験勉強のためではなく、それを自らに適用し、「変化していくものとしての我々」という主体を生きるためにあるのではないか。
これからの自らの国家と社会をどのように構想し、構成(constitution=憲法)していくのかを責任を持って考える限り、象徴天皇制廃止は避けて通れない課題だ。
② 私たちにとっての人権 2002年04月 参議院憲法調査会公聴会応募不採用原稿
http://www.asahi-net.or.jp/~bh7y-isd/criti/emp-sangiin.htm
要旨:「天皇」は憲法によって諸人権を剥奪されている矛盾した存在であり、私たちが人権を普遍的なものと考える限り、制度として廃止されなくてはならない。
http://www.asahi-net.or.jp/~bh7y-isd/criti/emp-sangiin.htm
要旨:「天皇」は憲法によって諸人権を剥奪されている矛盾した存在であり、私たちが人権を普遍的なものと考える限り、制度として廃止されなくてはならない。
③ 天皇の人権問題について論議を 2001年12月 朝日新聞投稿不採用原稿
http://www.asahi-net.or.jp/~bh7y-isd/criti/emp-asa.htm
要旨:皇太子夫妻に子供が生まれたが、生まれだけによって職業選択の自由や選挙権を剥奪されるという天皇一族に対する人権侵害を回復するには、国家を構成する憲法制定の主体としての我々が天皇制を廃止する必要がある。
当時これらの意見を「反天皇制」を掲げるある団体と、日本共産党に送ってみたのだが、賛同は得られなかった。それでも同じような意見は女性天皇の是非が議論になった2005年頃からは、新聞でも散見されるようになった。例えば上野千鶴子氏は2005年8月17日朝日新聞夕刊「女帝 議論のために」のシリーズの一編の中で以下のように述べている。
最近では「愛子様檄やせ」という女性週刊誌の広告を見て家人も「かわいそうに、もう、解放してあげれば良いのに・・」と言っていた。
http://www.asahi-net.or.jp/~bh7y-isd/criti/emp-asa.htm
要旨:皇太子夫妻に子供が生まれたが、生まれだけによって職業選択の自由や選挙権を剥奪されるという天皇一族に対する人権侵害を回復するには、国家を構成する憲法制定の主体としての我々が天皇制を廃止する必要がある。
当時これらの意見を「反天皇制」を掲げるある団体と、日本共産党に送ってみたのだが、賛同は得られなかった。それでも同じような意見は女性天皇の是非が議論になった2005年頃からは、新聞でも散見されるようになった。例えば上野千鶴子氏は2005年8月17日朝日新聞夕刊「女帝 議論のために」のシリーズの一編の中で以下のように述べている。
「それより何より、戸籍も住民票もなく、参政権もなく、そして人権さえ認められていない皇族のひとたちを、その拘束から解放してあげることだ。住まいと移動を制限され、言論の自由も職業選択の自由もなく、プライバシーをあれこれ詮索され、つねに監視下に置かれている。こんな人生をだれが送りたいと思うだろうか。失声症や適応障害になるのも無理はない。
天皇制という制度を守ることで、日本国民は、皇族という人間を犠牲にしてきたのだ。ほんとうを言えば、制度に安楽死をしてもらうことで、制度の中の人間に生き延びてほしい、わたしはそう思っている。」
最近では「愛子様檄やせ」という女性週刊誌の広告を見て家人も「かわいそうに、もう、解放してあげれば良いのに・・」と言っていた。
④「我々」という編成に向けて 四つの断章 1993年8月
http://www.asahi-net.or.jp/~bh7y-isd/criti/hensei.htm
三、構成する力としての「我々」 の節
皇太子の結婚をめぐって「人権」、「国民」、「憲法」概念について
http://www.asahi-net.or.jp/~bh7y-isd/criti/hensei.htm
三、構成する力としての「我々」 の節
皇太子の結婚をめぐって「人権」、「国民」、「憲法」概念について
以上
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※上記を投稿した、労働組合や社会運動、政治活動家たちが集っているそのメーリングリストから何も応答がなかったのは、「私」の思考がまだ不十分であることを意味している、だけだ。
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