「愛国心」と「同胞愛」
2013年1月31日
2020年7月10日
2013/01/31
残念ながら一番印象に残ったのは、「右翼」のおぞましい罵詈雑言、まさに沖縄が差別されている深刻さ、虚偽が創り出す破滅への予感、のような暗いものでした。
銀座を行進している時、デモ隊列側の歩道には「この人達は中国の手先だ」「オスプレイは安全だ」などと叫ぶ者達、反対側の歩道にはぎっしりと日の丸を持った集団がいる一角がありました。要するに彼ら(いくつかのグループ、ネットでの呼びかけに応じた個人の方も居たようです)は、中国に対抗するためにオスプレイが必要で、オスプレイはヘリコプターより安全だ、今日集会を開き目前でデモをしている連中は中国の手先だ、売国奴だ、というようなことを繰り返し叫んでいたのです。 27日の集会は主催が「オスプレイに反対する沖縄県民大会実行委員会」、沖縄の全41市町村、議会の代表達が檀上には上っていました。会場入口で私は沖縄タイムスの「東京行動特別版」をもらいました。「オスプレイの危険性と沖縄配備による負担増の実態を全国に訴えるため、沖縄タイムス社は特別版の4頁特集を、東京で街頭配布します」と書かれていました。琉球新報も同様な配布とインターネット中継をしていたようです。
デモに向かってこいつらは中国の手先だ云々と無邪気に声を上げていた日の丸を持った人々は「自分達は愛国者」だと主張しているらしいのですが、この集会は沖縄の全市町村から代表が来たものであることを知っていたのでしょうか。もし「愛国者」だというのならば、自らの同胞の苦しみに自らはどう行動できるのか、それを考え抜くというのが、「愛国者」の資格でしょう。
同胞である一つの県の全市町村の代表が一緒に政府に建白書を届けざるを得ない、などという異常事態にもかかわらず、問題をすべて「中国」VS「日本」とかの構図内に配置してその中で興奮してしまう思考停止には驚くばかりですが、どこにでも素っ頓狂な人はいるから、という風にそれを軽視できなかったのは、そのような思考停止と同胞愛の欠如が、昨今の生活保護バッシング、公務員叩きなどの妬み僻みパターン言説のマスメディア上での充満、それへの支持、という醜悪な光景と同一であり、今目前でそのことが繰り広げらているのだという生々しさからです。
銀座の車道に面してぎっしりと掲げられた日の丸(小旗ではありません)、彼らから罵声を浴びる沖縄からの上京団、かつて日の丸は沖縄復帰運動のシンボルでもあったと聞きます。デモの先頭を歩いた沖縄の人々はその日の丸から罵声を浴びせられてどう思ったのでしょうか。日比谷公園入口では日の丸を掲げて、沖縄独立というのならどうぞ独立して下さい、と演説している人がいました。
人は誰しもその時代の概念でしか自己規定できないし、とりあえずそこから出発するしかないのでしょう。では、「愛国心」という言葉があったとして、その内実は何なのでしょう。今回の彼らの行動が示す彼らの「愛国心」とは「国家と国家の関係」において自分の所属する「国家」を愛せよ(他との比較において強化・拡張せよ)という形式性に自己循環しており、現実の同胞の姿、苦しみや喜び、人々の生活、が全く欠落した想像空間での概念のようです。おそらく、彼らを「北朝鮮」に移行させれば、彼らはすぐ、北朝鮮国旗を掲揚しないのはけしからん、北朝鮮国歌(実はどんなものか今私は知りませんが)を歌わないのは国賊だと、(ひょっとしたら飢えに苦しんでいるかもしれない?同胞を無視して)「愛国心」を発揮し始めるでしょう。
しかし、「愛国心」、「この国」を愛するというのなら、「この場所」で暮らしている自らを含めた仲間、同胞がいかにして幸せになれるのかを徹底的に考えなければならないという命題に行かざるを得ないはずです。
確かに西暦2013年の現時点で、国家、国というのは一つの支配的な自己規定の枠組みではあります。自分達一族の祖先は鷲であったとか、自分達は神様から選ばれた子孫だとかいう自己規定もまだ併存しています。しかし、一方で、人類が地上の様々な現象を整合的に説明するために作り上げてきた理解=即ち「科学」の現時点での到達点によれば、現生人類は何十万年か前にアフリカから地球上に何万年かかけて展開していったと解されているようです。その理解を受験勉強の知識としてではなく、自らの自己意識に「適用」してみるならば「我々」はそのような長い歴史の中で民族とか、国家とか様々な概念を創り出し、敵対したり、共同したり、様々な自己意識をそれぞれの場所で刻み込んできた一つの者である、と理解するしかないでしょう。まさに「同胞」ですね。
現在、「国家」を、我々を絶対的に区分する最終審級であるかのように語る者達はそのことによって支配の私利を得られる構造の中にいるので、それを自己保持するために無意識的に科学には目を閉じ、人々にも目を閉じさせようとするのでしょう。
銀座で私たちに罵声を浴びせかけていた一人の中年男性に、私は「君は沖縄の新聞を読んだことがあるのか!」と叫び返しました。制服警官が割って入るような形になりましたが、私は彼とじっくりと話をしてみたかった。国を愛するとはどういうことなのだろうか、君は、君自身や君の周りの仲間とどのような暮らしをしたいのですか、と。
銀座で出会った多くの、私たちに罵声を浴びせかけていた仲間達、彼らの日々の生活がどのようなものなのか、一人ひとり聞いてみたくなる。興奮した声を上げてはいても皆ごく普通の人に見えた。彼らがどのように日々を暮らしているのか、有期雇用を繰り返し明日が見えないと思ってはいないか、正社員で猛烈な残業をさせられてはいないか、何か現実に満たされず、今ここで罵声を浴びせかけることでつかの間の開放感に浸ってはいないか・・・。いや自らの使命に高揚しているのか・・・。
「初めまして・・」と言ってゆっくり彼らと話し始める姿を私は夢想する。そして「同胞愛」について、我々は今何をなすべきかについて語り合いたい。
※ ショックとモヤモヤを整理するために、ここ数日書き連ねたので、とても長くなってしまいました。最後まで読んで頂いた方ありがとうございます。
集会の数日前、私はコミュニティユニオンの旗開きで相談者の若いエチオピア人の夫婦に出会いました。生後二ヶ月の女の子は本当に可愛らしかった。ユニオンでは様々な人と出会ってきました。バングラデッシュ人,ビルマ人、イラン人、日系ブラジル人、中国人、日本人、そして職場でのイジメや不当解雇と闘おうという様々な仕事と世代の男女。確かにそこで出会った多くの人は自らの問題が解決するとその場所を去って行きます。しかし、今回などはユニオンに誘われた結果、銀座で「愛国者」と接近遭遇させてもらい、じっくり考えさせられたのですから、私にとってユニオンは現実の問題を私に降り注いでくれる磁場のようなものなのでしょう。(勘弁してよ!とは言いませんが)。これからもその磁場の中で考えていくことにしましょう。 2013.01.30
※ 2018年8月17日の東京新聞コラムで、作家・元外務相主任分析官の肩書きの佐藤憂氏は次のように書いている。
所属するMLに送った感想・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私も1月27日日比谷野音での NO OSPREY 東京集会とデモに、所属するコミュニティユニオンの仲間と参加しました。感想を送らせていただきます。
残念ながら一番印象に残ったのは、「右翼」のおぞましい罵詈雑言、まさに沖縄が差別されている深刻さ、虚偽が創り出す破滅への予感、のような暗いものでした。
銀座を行進している時、デモ隊列側の歩道には「この人達は中国の手先だ」「オスプレイは安全だ」などと叫ぶ者達、反対側の歩道にはぎっしりと日の丸を持った集団がいる一角がありました。要するに彼ら(いくつかのグループ、ネットでの呼びかけに応じた個人の方も居たようです)は、中国に対抗するためにオスプレイが必要で、オスプレイはヘリコプターより安全だ、今日集会を開き目前でデモをしている連中は中国の手先だ、売国奴だ、というようなことを繰り返し叫んでいたのです。 27日の集会は主催が「オスプレイに反対する沖縄県民大会実行委員会」、沖縄の全41市町村、議会の代表達が檀上には上っていました。会場入口で私は沖縄タイムスの「東京行動特別版」をもらいました。「オスプレイの危険性と沖縄配備による負担増の実態を全国に訴えるため、沖縄タイムス社は特別版の4頁特集を、東京で街頭配布します」と書かれていました。琉球新報も同様な配布とインターネット中継をしていたようです。
デモに向かってこいつらは中国の手先だ云々と無邪気に声を上げていた日の丸を持った人々は「自分達は愛国者」だと主張しているらしいのですが、この集会は沖縄の全市町村から代表が来たものであることを知っていたのでしょうか。もし「愛国者」だというのならば、自らの同胞の苦しみに自らはどう行動できるのか、それを考え抜くというのが、「愛国者」の資格でしょう。
同胞である一つの県の全市町村の代表が一緒に政府に建白書を届けざるを得ない、などという異常事態にもかかわらず、問題をすべて「中国」VS「日本」とかの構図内に配置してその中で興奮してしまう思考停止には驚くばかりですが、どこにでも素っ頓狂な人はいるから、という風にそれを軽視できなかったのは、そのような思考停止と同胞愛の欠如が、昨今の生活保護バッシング、公務員叩きなどの妬み僻みパターン言説のマスメディア上での充満、それへの支持、という醜悪な光景と同一であり、今目前でそのことが繰り広げらているのだという生々しさからです。
銀座の車道に面してぎっしりと掲げられた日の丸(小旗ではありません)、彼らから罵声を浴びる沖縄からの上京団、かつて日の丸は沖縄復帰運動のシンボルでもあったと聞きます。デモの先頭を歩いた沖縄の人々はその日の丸から罵声を浴びせられてどう思ったのでしょうか。日比谷公園入口では日の丸を掲げて、沖縄独立というのならどうぞ独立して下さい、と演説している人がいました。
人は誰しもその時代の概念でしか自己規定できないし、とりあえずそこから出発するしかないのでしょう。では、「愛国心」という言葉があったとして、その内実は何なのでしょう。今回の彼らの行動が示す彼らの「愛国心」とは「国家と国家の関係」において自分の所属する「国家」を愛せよ(他との比較において強化・拡張せよ)という形式性に自己循環しており、現実の同胞の姿、苦しみや喜び、人々の生活、が全く欠落した想像空間での概念のようです。おそらく、彼らを「北朝鮮」に移行させれば、彼らはすぐ、北朝鮮国旗を掲揚しないのはけしからん、北朝鮮国歌(実はどんなものか今私は知りませんが)を歌わないのは国賊だと、(ひょっとしたら飢えに苦しんでいるかもしれない?同胞を無視して)「愛国心」を発揮し始めるでしょう。
しかし、「愛国心」、「この国」を愛するというのなら、「この場所」で暮らしている自らを含めた仲間、同胞がいかにして幸せになれるのかを徹底的に考えなければならないという命題に行かざるを得ないはずです。
確かに西暦2013年の現時点で、国家、国というのは一つの支配的な自己規定の枠組みではあります。自分達一族の祖先は鷲であったとか、自分達は神様から選ばれた子孫だとかいう自己規定もまだ併存しています。しかし、一方で、人類が地上の様々な現象を整合的に説明するために作り上げてきた理解=即ち「科学」の現時点での到達点によれば、現生人類は何十万年か前にアフリカから地球上に何万年かかけて展開していったと解されているようです。その理解を受験勉強の知識としてではなく、自らの自己意識に「適用」してみるならば「我々」はそのような長い歴史の中で民族とか、国家とか様々な概念を創り出し、敵対したり、共同したり、様々な自己意識をそれぞれの場所で刻み込んできた一つの者である、と理解するしかないでしょう。まさに「同胞」ですね。
現在、「国家」を、我々を絶対的に区分する最終審級であるかのように語る者達はそのことによって支配の私利を得られる構造の中にいるので、それを自己保持するために無意識的に科学には目を閉じ、人々にも目を閉じさせようとするのでしょう。
銀座で私たちに罵声を浴びせかけていた一人の中年男性に、私は「君は沖縄の新聞を読んだことがあるのか!」と叫び返しました。制服警官が割って入るような形になりましたが、私は彼とじっくりと話をしてみたかった。国を愛するとはどういうことなのだろうか、君は、君自身や君の周りの仲間とどのような暮らしをしたいのですか、と。
銀座で出会った多くの、私たちに罵声を浴びせかけていた仲間達、彼らの日々の生活がどのようなものなのか、一人ひとり聞いてみたくなる。興奮した声を上げてはいても皆ごく普通の人に見えた。彼らがどのように日々を暮らしているのか、有期雇用を繰り返し明日が見えないと思ってはいないか、正社員で猛烈な残業をさせられてはいないか、何か現実に満たされず、今ここで罵声を浴びせかけることでつかの間の開放感に浸ってはいないか・・・。いや自らの使命に高揚しているのか・・・。
「初めまして・・」と言ってゆっくり彼らと話し始める姿を私は夢想する。そして「同胞愛」について、我々は今何をなすべきかについて語り合いたい。
※ ショックとモヤモヤを整理するために、ここ数日書き連ねたので、とても長くなってしまいました。最後まで読んで頂いた方ありがとうございます。
集会の数日前、私はコミュニティユニオンの旗開きで相談者の若いエチオピア人の夫婦に出会いました。生後二ヶ月の女の子は本当に可愛らしかった。ユニオンでは様々な人と出会ってきました。バングラデッシュ人,ビルマ人、イラン人、日系ブラジル人、中国人、日本人、そして職場でのイジメや不当解雇と闘おうという様々な仕事と世代の男女。確かにそこで出会った多くの人は自らの問題が解決するとその場所を去って行きます。しかし、今回などはユニオンに誘われた結果、銀座で「愛国者」と接近遭遇させてもらい、じっくり考えさせられたのですから、私にとってユニオンは現実の問題を私に降り注いでくれる磁場のようなものなのでしょう。(勘弁してよ!とは言いませんが)。これからもその磁場の中で考えていくことにしましょう。 2013.01.30
※ 2018年8月17日の東京新聞コラムで、作家・元外務相主任分析官の肩書きの佐藤憂氏は次のように書いている。
8月8日に膵臓癌のために67歳で亡くなった翁長雄志沖縄県知事は、沖縄の自己決定権を回復しなくてはならないと強く思ったのは2013年1月27日のこのデモ行進の現場においてだった、と佐藤氏に語っていた。
佐藤氏もこの集会に参加していたが、日比谷公園から銀座までのデモでは、「ヘイト活動の対象に沖縄と沖縄人がなっていることを皮膚感覚で感じた」。翁長氏は「銀座通りでデモをする中で、僕は日本がすっかり変わってしまったという感じがしたんです。ひどい妨害活動だったけれど、それよりも驚いたのは、銀座を歩く本土の人々の無関心です。一昔前ならば、あのようなヘイト活動に対して、文句を言う人が沿道にかならずいた。しかし、今では皆な見て見ぬふりをしている。日本人の沖縄に対する意識が冷淡になっている。僕はあのとき、ウチナーンチュ(沖縄人)の身は自分で守らなくてはならないと強く思うようになったんです。」と述べた。
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